ロシアがソチ事件から8年経った今も、国家の代表として出場できず、選手が個人資格のROC所属として出場しているのもドーピング禍の闇がなおも深いことを物語っている。
ロシアにとって、スポーツは歴史的に、国威発揚を図り、米国やほかの先進国と伍して負けない大国であることを世界にアピールする手段として用いられてきた。
冷戦時代の五輪は、宇宙開発競争と匹敵する米ソ頂上決戦であり、ソ連政府は全土から身体能力に優れた少年少女をモスクワの育成センターに集めて、エリート教育を行なってきた。当時、盛んに指摘された「ステートアマ」は「国家のアマチュアアスリート」を意味し、五輪であればメダルを獲得すれば、家や就職口も政府から供与され、一生が安泰という保証がなされた。
プーチン大統領もソ連時代の養成システムで柔道を鍛えたアスリートであり、00年に権力の座についてからも、スポーツを国威発揚の手段として用いた。「スポーツは、社会の団結ならびに発展に役立つ普遍的な手段である」とスピーチしたこともあり、14年冬季五輪開催地を決めるため、07年に行われたIOC総会では会場に自ら乗り込み、ロシア語、英語、フランス語で最終プレゼンをアピールしたことはよく知られている。
ところが、ロシア選手団はソチ大会の直前となる10年バンクーバー五輪で、金3個、銀5個、銅7個というソ連時代を通じて、過去最低のメダル数に陥ってしまう。これは、ちょうどこの五輪に参加する選手の誕生年がソ連崩壊、新生ロシア誕生の混乱期に差し掛かり、英才教育が出来なかったことが原因とされている。いずれにせよ、冬のスポーツ大国の威信はここでずたずたに引き裂かれたのである。
そして、プーチン政権下で迎える国家の大事業であるソチ大会を競技成績として成功に収めるため、無理強いした上からのメダル獲得指令が、組織ぐるみのドーピング体制を副産物として産み出したのである。露紙ベドモスチは、プーチン政権がソチ五輪での勝利を「経済や社会情勢が悪化する中、国民を動員する手段」として政策に取り込もうとしたことが、無謀な不正を招いたとの見方を伝えた。
国ぐるみで進められていた偽装工作の数々
先ほど、紹介したロドチェンコフ氏の暴露をもとに作られた16年発表のWADAの報告書はまさに全世界に衝撃を与えた。ロシアの不正は「前例のない規模」であり、関与したのは五輪・パラリンピックの30以上の競技におよび、1000人超の選手が関与したと告発した。
不正工作は大掛かりで、五輪会場のソチのドーピング検査所には、警備の厳しい制限エリアの壁に小さな「ねずみ穴」が設けられ、陽性反応が出る可能性の高い選手の尿検体が隣の部屋に運び出された。
代わりにすり替わったのはその選手の「クリーンな検体」。モスクワには事前に個々の選手から採取された、禁止薬物を服用する前の尿検体を保管する秘密の場所があり、尿の保存には「コーラの瓶」が使われていた。極秘の工作は、「マジシャン」と呼ばれていたFSBの工作員が下水道作業員を装って検査所に出入りして、行っていた。
瓶の中の検体は入れ替えられていた。FSBは開封厳禁だった瓶のふたを「歯科医が治療で使うような器具」を使ってこじ開ける手法を開発し、それを使った。WADAはロドチェンコフ氏の指示通り、科学捜査機関の鑑定で、ふたの裏側に小さな傷があることを突き止めた。
ロドチェンコフ氏はさらにWADAの検査官を欺くため、検体に塩やコーヒーの粉を加えて本来の尿の成分を変えたり、禁止薬物が検知されにくい「カクテル」を作ったりして選手の筋肉増強などに役立てていたことも赤裸々に語った。