失われる日常のささやかな幸せ
「負の影響」に目を向けよ
日本人が死者数を1人減らすためにこれだけ大きな犠牲を払いたいという価値観の背景には、何事にも「完璧さ」を求める国民性と「感染リスクを減少させることに伴う社会犠牲を楽観視、または過小評価」していることがあるのではないか。
こうした社会犠牲の中には、飲食店、宿泊業、エンタメ業界、それらと関連する産業の大きな停滞だけでなく、子どもたちにとって、一生の思い出になる学校の修学旅行や遠足、入学式や卒業式、日々の授業や部活動、大人にとっては、お盆休みや正月に両親や親戚、友人に顔を合わせるための帰省など、「日常のささやかな幸せ」がたくさん詰まっている。
その意味で、日本人は海外に比べて、日常のささやかな幸せを軽んじる傾向が見られ、「命を守るためなら、ある程度の犠牲は仕方がない」「国・政府の言うことを守ることが是」という固定化された思考や正義から脱却できない状況に陥っているとも解釈できる。
現在の政治状況は、コロナ対策に関し、最終的な意思決定者がいったい誰なのかも不明瞭に映る。首相や政府、分科会、首長から打ち出される政策や発言は統一感が感じられないことも多い。球技に例えるなら、試合を決定づける肝心な場面で、ボールをパスし続けるだけで誰もシュートを打とうとしない、という責任回避ともとれる状態が長く続いている。
また、メディアは新規感染者数や重症者数、病床使用率の推移・予測に注目する傾向が強い。一方で、コロナ危機での社会経済教育に関するデータはあまり頻繁に公表されないし、報道もされない。自殺者数や失業率などの推移は月に1回しか公表されない。出生者数、婚姻数についても同様である。
2年近く、人と人とのつながりが抑制された負の影響は多岐にわたる。自殺者の増加がその一例である。筆者のチームの試算では、20年3月~21年12月末までに、約4900人がコロナ危機の影響により自ら命を絶っている。この超過自殺者には若い世代が多く、20代の女性が約830人と最も多い。友達と会えない辛さであろうか、子ども(20歳未満)の自殺も270人(22年2月時点)と増えている。
また、出生数については、コロナ前から下降傾向にあったため、現時点ではコロナ危機の影響は限定的と言えるが、21年12月時点で、「コロナ禍で失われた婚姻」は約11万件に上り、この埋め合わせがなければ「失われた出生」は約21万人に及ぶとの結果も出ている。ただでさえ、少子高齢化が進むわが国で、この影響が軽微であると言い切ることは決してできないであろう。
そうした社会の犠牲の大きさが新規感染者数や重症者数と同様の頻度で可視化されれば、「行動制限の負の影響」や「経済損失」がどの程度生じているのか、国民も把握することができる。それにより国民が感染症対策と社会経済活動の両立に今まで以上に関心を持つことになり、世の中の空気は変わるのではないかと筆者は推測している。
現在、ワクチン3回目の接種が進んでいる。もちろんワクチンの効果も時間とともに徐々に低下することは承知の上だが、2回接種したことに比べて、3回目接種による追加的な価値は大幅に低いことが厚生労働省アドバイザリーボード、内閣官房AIシミュレーションプロジェクトチームの分析などに提出されているワクチンの有効性に関する試算でも明らかである。
多くの国民が2回接種するまでに行動制限をすることで死亡者数を減らし、経済損失も減らせるとの論理は十分に成り立っていた。だが、すでに8割の国民が2回接種を終えた今、3回目接種に向けて時間稼ぎのために行動制限を課すというロジックの正当性は相対的に減少している。逆に、行動制限により感染拡大を抑制することは、集団免疫獲得の先送りになるという側面も強まると言える。
例えば、集団免疫を獲得するために追加的に100万人の感染が必要であるとき、行動制限によって、仮に第6波で感染者数を50万人に抑えたとしても、第7波や第8波で感染者数が50万人に到達しなければ、集団免疫を獲得することはできないことになる。しかも、仮に感染力の強弱の程度などの要因により、第7・8波で感染者数50万人到達のペースが遅ければ、その分、行動制限による経済損失だけが増えてしまうということにもなりかねない。