手元に「キエフ 危機と平穏」という見出しが付けられた2月15日の読売新聞朝刊の記事がある。連日、北京冬季五輪で熱戦が繰り広げられる一方で、ロシア軍の侵攻が懸念されていたウクライナの首都キエフ(キーウに呼称変更)をルポした記事で、バレンタインデーを前に多くの市民で賑わうショッピングモールの様子が紹介されていた。そこにはテーブルを挟んで笑顔で語り合う親子や若者たちの姿があった。
だが、そのわずか10日後、世界はロシア軍の空爆で負傷した血まみれの女性や黒煙を噴き上げる建物の様子を報じることになる。2月24日、ロシア軍はキーウや北東部のハリコフ、南東部のマリウポリなど複数の都市をミサイル攻撃し、記事にあったキーウのショッピングモールも焼け落ちてしまった。
記事の中で、生後半年の乳児を抱え、「緊急時は地下の避難所に駆け込むことをたたき込まれている」と気丈に語っていた女性(26歳)は無事だろうか。そして「露軍が来たら家族は西部に逃げるが、自分は残って軍に参加する」と話していた男性(21歳)は……。
激しい攻撃にも、少なかった犠牲者
ロシアの蛮行は、隣国ウクライナの主権に対する侵略行為にとどまらず、市民生活を破壊し、人々に恐怖を植え付けることを目的とした明白な戦争犯罪だ。そのためにショッピングモールをはじめ、産科や小児科病院、多くの住民が避難していた劇場や駅、映画館など住民の命を標的に弾道ミサイルや戦車の砲弾を撃ち込んでいった。
侵攻から1カ月が経過した3月24日、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は子ども81人を含む民間人977人が犠牲となったと発表、国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」は、激しい戦闘が続くマリウポリでは、3000人を超す民間人が死亡した可能性があると報告している。被害の全容は不明ではあるが、当初伝えられた数字や報道から受けた印象は、ロシアの激しい攻撃にもかかわらず、驚くほどの犠牲の少なさと、ウクライナという国家の強靭性であった。
自民党の小野寺五典元防衛相は3月末に都内で開かれた安全保障をテーマにしたシンポジウムで、「確かに被害は出ているが、ウクライナは旧ソ連時代に核攻撃を想定して設置した地下防空壕を含め、地下施設を維持し、抗堪性を持たせている。そうした備えがあって、あれだけの被害で食い止めている。われわれは反省して見ておかなければならない」と指摘している。小野寺氏が指摘するように、ロシアの侵略がはじまってからの新聞各紙には、「侵攻から1週間は自宅地下のシェルターで過ごした。備蓄していた食糧も次第になくなってきた」(朝日)、「毎日爆撃音が聞こえ、多くの子どもを地下に避難させている」(読売)など開戦直後のウクライナ市民の行動が相次いで報道されている。
特筆すべきは首都キーウの地下鉄で、最深度105メートルは核シェルターとしても機能し、「3月14日の時点で、1万5000人がホームなど駅構内で避難生活している」(同)という事実だ。同じキーウ市内の小児病院では「有事に備えて手術室のある地下シェルターを設けている。ふだんは検査室として使っている地下の一室を、入院する子どもたちの親兄弟に開放している」(同)ことも伝えられている。まさに住民の命を守る国民保護が徹底され、市民の中に浸透している証左でもある。