2022年10月5日(水)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2022年3月31日

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冷泉彰彦 (れいぜい・あきひこ)

作家・ジャーナリスト

ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。近著に『「反米」日本の正体』(文春新書)など。メールマガジンJMM、Newsweek日本版公式ブログ連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

 3月23日、国会内でウクライナのゼレンスキー大統領による演説が中継された。その場では、大きな拍手が起こり国会議員たちは団結しているように見えた。だが、これによって日本の方向性が確認され、国として政策的に一体化ができているのかというと、そうではない。表面的な拍手の一方で、今でも安全保障に関する国論は割れており、国際的な危機にあたって日本は、国家としての方向性を一本化できていない。

ウクライナのゼレンスキー大統領によるビデオ演説が中継されても、日本の安全保障における方向性は一本化されない(代表撮影/ロイター/アフロ)

 戦後77年、こうした傾向は続いている。

 国の方向性、とりわけ安全保障政策に関しては国論はバラバラであった。その結果として、実現可能な複数の選択肢を実務的に討議して世論と対話し、国としての意思決定を行うということは、ほとんどなかった。今回の危機は、改めてこの点を浮き彫りにしたといえる。

 例えば欧州各国の場合、それぞれに多彩な政党がありイデオロギーの対立を抱えているのは事実だ。だが、少なくとも国連、欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)の枠組みを軸として、実務的に「安全」を「保障」する政策を議論し、民主主義のシステムを通じて民意の同意を得てきた。そこに揺るぎはない。米国から時に距離を置くこともしてきたフランスでもそうだし、EU離脱に至った英国の場合も安全保障に関しては同様だ。

 米国の場合、近年の「トランプ現象」においては孤立主義の立場から、安全保障体制への白眼視をする動きもあった。また民主党左派の中には理想主義から来る反戦思想も存在する。けれども、民主・共和両党の多数派に関して言えば、国際社会の中で、軍事外交上のリーダーシップを取りつつ実務的に問題解決に取り組む姿勢にブレはない。

日本に根強い保守と革新の「行き過ぎ」た考え

 こうした米欧の現状と比較すると、日本における安全保障の議論は異様である。まず分裂があり、しかも双方に極端な態度がある一方で、実務的な議論は極めて貧困である。したがって、国としての意思決定は「足して2で割る」式の無責任なものとなりがちだ。

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