2024年4月19日(金)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2022年5月15日

 沖縄の取るべき態度は2つある。対立を受け止めてバランスを確保することで、平和を維持する覚悟と、粘り強く対立を軽減して安全を確かなものにする覚悟の2種類である。その2種類のどちらも選ばず、安全保障に関する政策面での意思表示をせずに、しかしながら基地に関しては「本土並み」を要求し続けるのでは、何の議論も成立しない。

「反対」を叫ぶだけで平和は訪れない

 普天間問題が好例だ。米国の海兵隊は、普天間周辺の人口密集を重く見て、仮に深刻な事故を起こしては大変だということで返還に同意した。その同意による普天間返還は日本の国策となり、その政策パッケージとして辺野古がある。

 その上で、どうしても辺野古も中止してもらいたいというのなら、選択肢は2つある。普天間が消えても平和が維持されるバランス策を立案するか、バランスではなく対立の軽減で平和を維持するかの2つである。具体的には、中国や北朝鮮にその分の軍縮を求めるということだ。冗談で言っているのではない。安全保障とか平和というのは、そういう具体的な問題だからだ。

 けれども、沖縄からは辺野古反対だけが聞こえてくる。本土からもこの声に同調する勢力があり、その結果として普天間の返還は実現していない。50年間、「本土並み」を叫び続けても何も変わらなかった構図の正に典型だ。

 単純な比較はできないが、北海道の人々は、領土問題と漁業権問題という複雑な利害を抱えながら、ソ連、そしてロシアと対峙してきた。その中では、漁船の拿捕や銃撃事件などもあった。

 現在は、ロシア=ウクライナ戦争においてロシアが戦争当事国である中でも、粘り強く漁業交渉が行われた。いわば生活と安全保障が表裏一体となる厳しさの中で、地元は地元の意見を明確にし、常に政府とも対策をすりわせて危機を乗り超えて来ている。

 勿論、沖縄の場合は本島の全島が戦場となり、その後は米軍の苛烈な軍政に置かれたという苦難の歴史を経て来ている。この点では根室の人々との比較はできない。けれども、この50年ということで考えてみれば、もっと別の発想があっても良かったのではないだろうか。

米軍は同盟国による「友軍」であるはず

 もう一つの問題は「負担軽減」である。この表現も、過去50年繰り返されてきた。勿論、基地の存在は負担である。騒音に排気ガス、墜落事故の危険など物理的な負担は伴う。だからこそ、沖縄振興の予算が国家として組まれている。

 同時に基地の地代が払われることで、経済的な対処がされているし、現在の沖縄経済は基地を抜きにしては回らない。その一方で、沖縄における基地の「負担」には、米兵の行動への嫌悪感という別の側面が付きまとっている。

 この50年間に、米兵が起こした不祥事は多数ある。中には未成年者を対象とした性暴力事件など深刻な事件もあった。けれども、こうした犯罪は一握りの不心得者が起こすのであって、そうした犯罪を憎むという点では基地の外も中も同じはずだ。だが、沖縄では、そうした犯罪が「基地の負担」だとして語られる。


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