今年、沖縄県は日本復帰50年を迎える。なぜ、「復帰」なのか。その原点には、県民に対して実に4人に1人が死亡したとされ、生き残った多くの県民に言い尽くせない傷と苦しみを残した沖縄戦と、その結果、終戦以前から米軍の占領下に置かれることになったという歴史的事実がある。
この悲惨な「戦さ世」にはじまる困難な経験ゆえ、日本の中でも特に平和を希求する想いの強い地域の一つである沖縄県が、日本復帰50年の節目を日本の中でも特に厳しい安全保障環境のもとで迎えているという事実に筆者は大きな悲しみをおぼえている。
沖縄が有事に巻き込まれた時の大きな課題
沖縄をめぐる今日の安全保障環境の厳しさは、大まかに言えば、尖閣諸島をめぐる日中間の緊張や台湾のあり方をめぐる中台間の緊張などの近景と、インド・太平洋における米中間の緊張という遠景とで構成されている。この中で、沖縄県をめぐって具体的に懸念されている状況としては、先島地域(宮古海峡以西の諸島、具体的には宮古島を中心とした宮古地域および石垣島を中心とした八重山地域の総称)周辺が武力紛争に巻き込まれる状況や、沖縄本島に点在する米軍基地へのミサイル攻撃等が指摘されている。
特に、先島地域周辺が武力紛争に巻き込まれる状況では、地域社会全体を避難対象とせざるを得ないことから多大な困難が予想されている。かつて筆者が行った試算では、先島地域の住民と入域者ら約13万6000人を民間事業者の輸送力によって避難させた場合、宮古地域で21.5日程度、八重山地域は18日程度必要となった。さまざまな事情を抱えた住民がいる中でこのような時間的余裕を確保し、実際に確実な避難を行うことは大きな政策課題である。
現在の緊張関係を戦争に発展させない努力は極めて重要である一方、私たち自身が「戦争を絶対に発生させない方法」を見つけられていない事実もまた冷静に踏まえる必要がある。つまり、私たちは戦争という社会現象を「制御」する段階には至っていないのである。そうであれば、不幸にして日本が戦争の当事国となってしまった時に、無辜の住民らの生命や身体、財産の安全を確保するための措置を準備しておくことは無意味ではないはずである。
ウクライナ戦争で浮き彫りにした国民保護の重要性と課題
日本が戦争当事国となった際に国民の生命・身体あるいは財産を守るための措置を「国民保護」といい、この内容を定めた法律として2004年に国民保護法が制定されている。法律では、国民保護は国が一義的な責任を担っており、自治体や運輸・ライフラインなどに関わる指定公共機関(あらかじめ指定を受けた事業者や団体)などがその執行の一部を担っている。
国民保護法が成立した04年の防衛白書は、「国民の保護のための措置は、基本的には、国際人道法の主要な条約の一つであるジュネーヴ諸条約第1追加議定書が規定する「文民保護」に該当するもの」(平成16年版防衛白書、170頁)と指摘している。日本の国民保護は一義的には日本が武力紛争に巻き込まれた場合の無辜の住民らの保護を目的としているものと言える。
22年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、改めて文民保護の重要性と課題を浮かび上がらせることとなり、日本国内でも国民保護への関心を高めることとなった。
小さな島々で構成されている先島地域のライフラインは極めて脆弱であり、紛争下で住民を残留させることは極力避ける必要がある。それゆえ、事前避難をいかに円滑に進めるかが重要なテーマとなる。この視点でウクライナ侵攻における文民保護の課題として指摘しておくべきこととして、「取り残されやすい人の優先避難」と「避難をめぐる意思決定の迅速化」という2点を挙げておきたい。