国連による指摘を中国内で捏造
習氏と中共が言いたいのは、生存権・発展権の充足を望む人民の声を体現した「中国の人権」を保護するために、個別の「極端主義者」の自由権を制約することを、西側諸国も率直に尊重すべきだということである。そして、今後のグローバル人権論の絶えざる構築に際し、「社会の安定を通じて成功」した「中国の人権」概念こそ重視されるべきだという。
バチェレ氏はこのような習氏の説明に対し、国連が掲げる発展権は、例外なき基本的人権の尊重を前提としていることを踏まえ、「われわれはこれから、敏感で重要な人権問題を討論するのだ」「持続的な発展、平和、安全は、必ずや人権、正義、そして一切の例外なくあらゆる人々を包容することを以て核心とすべきである」と釘を刺した。
しかし中国側の発表では、この部分は丸ごとカットされ、むしろバチェレ氏が「人権概念の発展における中国の重要な役割を賞賛する」内容が捏造された。例えば、バチェレ氏は中国の貧困解消を評価したものの、「人権を保護し、経済社会等の発展を実現するために為した努力や成果に敬服」したことはなかった(VOA、5月25日)。
バチェレ氏の新疆訪問は、新型コロナウイルス問題のため「バブル方式」を採り、希望通りの調査とはならなかったものの、関係者の面会や刑務所の視察は実現し、対テロ対策と称する手法が人権に与える影響について懸念を提起したという(毎日新聞、5月28日)。しかし中共は、バチェレ氏の訪中を以て、「人権の発展における新疆の先進的事例を国際社会が評価しつつある」と宣伝することであろう。
早速5月29日の『人民日報』では、バチェレ氏と習氏の会談にも言及しつつ、生存権・発展権を中心とした「人民至上・生命至上」の人権観念が国際的な人権保障に大きく貢献していると強調している。
しかしそうするほど、外界における違和感は一層強まらざるを得ない。中国は今や完全に、厳格な国家統制によって「発展」と「人権」を演出する時代を生きている。それを続けても問題があるし、中共が自発的に方針転換するとしても、多大な批判や軋轢が噴出して収拾が付かなくなる可能性が高い。外界も、そのような中国の現実に照らして、中国との関係をどうするのか考える必要がある。