2024年7月22日(月)

未来を拓く貧困対策

2022年6月4日

 今回の裁判では、1000人を超える原告が違憲訴訟に名を連ねる。朝日訴訟のときとは、規模は比較にならない。

 生活保護基準は、最低賃金、住民税や地方税の減免、保育料や就学援助、介護保険や障害保険、公営住宅などたくさんの制度と連動している。「健康で文化的な最低限度の生活」のラインは、私たちの生活のあらゆるところに影響を与えている。判決のもつ社会的インパクトは、極めて大きな意味をもつ。

政治家や官僚がすべてを決める社会でよいのか

 誤解を恐れずにあえて言い切れば、朝日訴訟が「生活保護基準の妥当性」を問う裁判なのに対し、今回の生活保護引き下げ訴訟は、「生活保護基準の決め方の妥当性」を問う裁判である。

  熊本地裁判決は、私たちに「国にすべてを委ねるか、それとも合理性や専門的知見を求めるか」を問うている。言い換えれば、国にコンプライアンスの遵守を求めるのか、それとも信じて委ねるのかが問われているのである。

 コンプライアンスとは、日本語では「法令遵守」と訳される。しかし、単に「法令を守ればよい」という訳ではない。現在、企業や行政に求められている「コンプライアンス」とは、法令遵守だけでなく、倫理観、公序良俗などの社会的な規範に従い、公正・公平に業務をおこなうことを意味している。

 結論ありきで数字合わせをして、専門家の意見も聞かなくても問題はない。なぜなら、どう決めるかは国(厚労相)に裁量があるのだから。国民は生活保護引き下げを望んでいるし、財政事情も厳しい。だから、引き下げるのは仕方がない。

 これを仮に認めるとしたら、政権交代が起こり、左派政権が力を持ったら何が起こるだろうか。「企業の内部留保を吐き出させるルールをつくろう」「不労所得を得ている資産家への課税を強化しよう」というキャンペーンが張られ、国民感情や財政事情を理由に手続きをないがしろにしてルールが変更されたらどうだろう。選挙の勝者が総取りをするようなシステムは、むしろ社会を不安定にするのではないか。

 政治家や官僚がすべてを決める社会でいいのか。筆者の答えは、「No」である。

 どのような政策を選択するにしろ、判断の根拠となる統計等のデータは恣意的に扱われるべきではない。また、学問的蓄積に裏打ちされた専門的知見は尊重されるべきである。

 政策決定者は公平・公正な目でデータをみて、専門家の意見に耳を傾ける必要がある。そのうえで、適正な手続きを踏み、なぜその判断に至ったのかを説明する責務がある。私たちは、感情ではなく理性をもって、そのことを求めていかなければならない。

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