2024年11月22日(金)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2022年8月15日

 南雲艦隊司令部のこの判断には、敵機の長時間にわたる波状攻撃への対処に追われ、またその敵機(爆撃機や雷撃機)が戦闘機の護衛を持たず、日本側の艦隊直衛機(ゼロ戦)に次々と撃墜される様子を目の当たりにしたことが、心理的に影響したといわれる。では、結果としては失敗であった南雲艦隊のこの決定をくつがえす機会はなかったのだろうか。

楽観的過ぎた見立て

 もともと連合艦隊司令部は、米軍がミッドウェー海域に空母を出撃させて日本側を待ち構えている可能性をほとんど考慮しておらず、「米空母は日本側がミッドウェーを攻略した後に出撃してくる」という、後世から見れば一方的・楽観的に過ぎた観測のもとに作戦を立てていた。また、東京にある軍令部(大本営海軍部)は、この作戦の主目的を「ミッドウェー島を攻略し、同方面よりする敵国艦隊の機動を封止し、兼ねて我が作戦基地を推進する」と、同島の占領であることを定め、わずかに作戦要領において「攻略作戦を支援掩護すると共に、反撃の為出撃し来ることあるべき敵艦隊を捕捉撃滅す」と示すだけであった。

 そして南雲艦隊司令部は、その軍令部の命令に沿って、ミッドウェー基地の空襲破壊を重視して行動しており、敵艦隊の捜索体制はきわめて不十分であった。そのうえ日本側は、前月の珊瑚海海戦で受けた損害からミッドウェー作戦への参加可能空母数が6隻から4隻へと減少し、かつ、米側に暗号を解読されて3隻の空母による待ち伏せを受けていながらそれに気づかないという不利な状況に陥りつつあった。

 その状況下にもかかわらず、自軍の艦艇がほとんど損害を受けていない間に敵艦隊を発見することができたのである。このとき連合艦隊司令長官山本五十六が座乗し、南雲艦隊から後に数百キロ離れた海域にいた戦艦「大和」も、その報告に接していた。

 山本は、「すぐ攻撃隊を発進させるよう南雲艦隊に命令すべきではないか」と述べたが、連合艦隊参謀の黒島亀人は、「南雲艦隊はこのような事態への対処は万全なはず」として同意せず、何の措置も講じられなかった。

通信環境により伝わり切らなかった切迫感

 遠く離れた「大和」から何ら命令が発せられなかったとしても、冒頭に記したような、航空戦指揮の経験が深い山口多聞による意見具申が採用されれば、米空母艦隊のそれよりもはるかに高度な技量を持っていた日本側の航空兵力によって、日本海軍の一方的な敗北は避けられたはず、という意見もあるかも知れない。しかし、米艦隊ですでに実用化され、戦闘に常用されていた艦対艦・艦対空・空対空の超短波電話(VHF)は、日本側では艦対艦の通話が使えるかどうかという状況であり、山口が南雲に意見しようとしても、発光信号か電報に頼るほかなかった。

 考えてみれば、山口が南雲に直接電話で、戦機を逃さずに攻撃隊を即時発進させることの重要性を伝えるのではなく、「直ちに攻撃隊発進の要あり」という発光信号(あるいは手旗信号)を受け取り、その内容を記した紙を信号兵が司令部に届けるだけで終わるのでは、南雲艦隊司令部における判断の材料として、その重要性・緊急性がきわめて低くなるのは避けられない。そのときに、作戦部隊全般を指揮する立場の連合艦隊司令部が、結果として無為に終止したという批判は免れないであろう。


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