2024年4月24日(水)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2022年8月15日

 作戦の前提が崩れたことが判明したときや想定外のことが起きたときには、その責任を明らかにして、どう体勢を立て直すかを迅速に判断して麾下に明示するのが最高指揮官のなすべきことであると考えるならば、この海戦の敗北における最高指揮官としての山本の責任は、きわめて大きいと言わねばならない。

敗因はミッドウェー海戦前からあったのか?

 ミッドウェー海戦の直後に機動部隊(第三艦隊)の情報参謀となり、翌年から連合艦隊司令部で情報参謀として勤務した中島親孝(終戦時に中佐)は、戦後出版した回想『聯合艦隊作戦室から見た太平洋戦争』(光人社)において、「連合艦隊の戦いのあとをふりかえってみると、一般的には批判されることのすくない、戦争前半の作戦指揮に、かえって問題があると思われてならない」と総括している。

 ハワイ作戦の計画実施からガダルカナルの撤退、山本の戦死までの間、山本本人や司令部スタッフの観測や判断、軍令部との関係や麾下の艦隊への指揮統率ぶりなどをたどり、いまからちょうど77年前の敗戦をもたらした因子がどこにあったかを考えることはきわめて重要な作業といえるだろう。

(本稿の執筆にあたっては、阿部安雄氏のご教示に負うところがきわめて大きかった。記して謝意を申し上げます)

 
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