オトナの教養 週末の一冊

2013年4月26日

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東嶋和子 (とうじま・わこ)

科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師

元読売新聞科学部記者。フリーランスで環境・エネルギー、医療、生命科学、科学技術分野を中心に、科学と社会のかかわりを取材。主著に『名医が答える「55歳からの健康力」』(文藝春秋)、『人体再生に挑む』(講談社)など。新著に『水も過ぎれば毒になる 新・養生訓』(文春文庫)

 たとえば、情報化時代にかんして、「オフィスのペーパーレス化」や「無人の街」、「サイバー観光客の増加」、既存メディアや娯楽の消滅といった事象が予言されていたが、実際はそうならなかった。

 オフィスでは紙の量が逆に増え、通勤が不要にもならなかった。観光客で町は混雑し、「ブロードウェイの灯りは今も昔と変わらず煌々と輝いているのだ」。

 時として予言どおりにならないのは、「人々はえてしてそうした進歩を拒んだのではないだろうか」と、著者はいう。

 現代人であるわれわれの望みや夢、人格、欲求は、十万年以上前に穴居人だったころの祖先とさほど変わらないし、この先十万年もきっと変わらない。したがって、「現代のテクノロジーと原始的な祖先の欲求との軋轢があるところでは必ず、原始の欲求が勝利を収めている」。これが、「穴居人の原理」である。

 たとえば、「獲物の証拠」として、話をするより、獲った動物を手にして見せるほうがいい。それで「人は、コンピュータの画面に浮かぶ電子的な文字を本能的に疑ってしまうため、不必要なときでも電子メールやレポートを印刷する」。

 また、われわれの祖先は直接会うことで他人と親密になったり、表に出ない感情を読み取ったりした。「それは、サルに近い祖先が、発話を生み出す何万年も前に、ほとんど仕草だけで思考や感情を伝えていたからである」。

 このように、ハイテク(先進技術)とハイタッチ(人間同士のふれあい)はつねに張り合っている。この競合においてわれわれは通常、両方を求めるが、「選択を迫られたら、祖先の穴居人と同じようにハイタッチを選ぶ」というのである。

商品資本主義から知能資本主義へ

 さて、こうしたハイテクとハイタッチのせめぎあいの結果、人々の日常生活はどのように変わるのか。

 本書では、富の未来、人類の未来、そして「二一〇〇年のある日」という章をもうけて、社会へのインパクトをまとめる。

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