戦時の反省のために「幻」にしてはいけない
1945(昭和20)年8月15日に戦争は終わった。高校野球(当時は中学)の全国大会が復活するのは46年8月、西宮球場で行われた第28回選手権、甲子園球場に球児が戻ったのは47年3月の第19回選抜大会だ。
4年もの空白が生まれた。「幻の大会」といわれた42年の大会に参加した「選士」の中には、「戦士」として戦場に散った球児も多く含まれていた。
全国選手権大会を主催する朝日新聞社と日本高校野球連盟は、47年の大会を記録にとどめていない。錬成大会が始まる前、大阪朝日新聞社は何回も文部省に対し、大会の通算回数に加えてほしいと陳情したが、まかりならぬと断られたいきさつがある。
大会の目的が「錬成」で、戦意高揚を目的とした大会なので、今となればまともなルールのもとでの野球大会といえない要素がたくさんあったのは上述した通りだ。だが、たとえルールが変則だったとしても、戦時中という極限の状況下で、まさに死力を尽くして戦った選手たちに何の罪もあろうはずがない。
非難されるべきは、理不尽な理由で野球の本質を捻じ曲げ、選手にそれを強制した文部省と軍部ら大人たちの責任だ。懸命に戦った選手たちに報いるためにも、47年の大会を断じて「幻」の大会にしてはならない。
どんな大会で、どんな理不尽がなぜ、まかり通ったのか。きちんと記録を残し、後世に伝えなければならない。今回取り上げた2冊の著者には心からの感謝と敬意を表したい。