新型コロナウイルスの感染拡大やロシアのウクライナ侵攻などで世界経済は大きな打撃を被った。そうした中で露呈したのが日本のデジタル改革の遅れだ。岸田文雄首相は「新しい資本主義」や「デジタル田園都市国家構想」などの政策を掲げるが、デジタルトランスフォーメーション(DX)抜きに日本経済の再生は難しい。「デジタル敗戦」とも呼ばれた日本のデジタル改革の足取りと今後の課題を検証する。
日本で最初にIT戦略を掲げたのは1994年に誕生した連立政権の村山富市内閣だ。米クリントン政権が前年に「情報スーパーハイウエー構想」を掲げたのを受け、政府内に「高度情報通信社会推進本部」を設けた。しかし米国で広がりつつあったインターネットにはそれほど注目していなかった。
流れが変わったのは98年に韓国で誕生した金大中政権がアジア通貨危機で破綻した経済を立て直すため、ADSLによるインターネット普及策を推進してからだ。韓国が一気にブロードバンド先進国にのし上がったのを見て、森喜朗内閣は2000年に「IT戦略会議」を設け、翌年には「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT戦略本部)」を立ち上げた。
IT戦略会議では新たに「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法)」を制定、全国4000万世帯にブロードバンドを広める「e-Japan戦略」を01年にスタートした。森政権の後を受けた小泉純一郎首相はこの戦略を新政権の経済政策の目玉に据えた。
こうしてインフラ整備が進んだことから、その利活用を促そうと06年に定めた次の5カ年計画が「IT新改革戦略」だ。レセプト(診療報酬明細書)の完全オンライン化、行政のオンライン申請50%達成、テレワークや遠隔教育の推進などを掲げ、後を継いだ安倍晋三首相がそれを推進した。しかし医療や教育、労働市場などのデジタル改革には規制改革が求められる。安倍氏が体調を崩し、1年で政権を放り出したことで日本のIT戦略の迷走が始まった。
続く福田康夫内閣、麻生太郎内閣でも改革は進まず、麻生政権は医師会の圧力から「レセプト完全オンライン化」の旗を降ろしてしまう。自民党から政権を奪回した民主党(当時)も光通信網の全国整備を促す「光の道」構想を打ち出したが、11年の東日本大震災により、IT戦略どころではなくなってしまった。
実はそうした日本のIT戦略を再び軌道に戻したのも安倍氏だった。
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