プーチン政権下では日露関係停滞の見通し
岸田首相は、ロシアの合意破棄非難とあわせて、「現状のような日露関係のもとでは交流事業を行う状況にない」とも述べ、いっそうの関係冷却化もやむなしとの認識を披歴した。
首相はすでに今春、「いまは平和条約交渉の展望について申し上げることはできない」(3月3日の記者会見)とも述べており、両国関係が長期にわたって停滞するとの見通しを示している。
ロシアはウクライナア侵略に対する制裁を受けて、今年春以降、欧米と並んで日本を「非友好国」に指定、平和条約交渉の中断、漁業協定の履行停止などの対抗手段を早い段階から打ち出してきた。首相がきびしい認識を持つのは当然だ。
ウクライナ情勢の帰趨、プーチン政権の将来がどうなるかなど不透明な要素はあるが、プーチン政権が継続する限り、日露関係が容易に好転する可能性は少ない。しかし、「ポスト・プーチン」の時代の到来などあらたな状況が生じれば、日露対話は再開される。それに備えて、あらたな方針を取りまとめておく必要があろう。
従来の外交成果を崩壊させた「2島返還」
真っ先に見直されなければならないのは、「4島返還」を放棄したシンガポール合意だ。2018年11月、当時の安倍晋三首相がプーチン大統領とシンガポールで会談した際になされた。
これについては、多くの機会に論じられてはいるから簡単に触れると、「1956年の日ソ共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる」というのが主な内容だ。
日ソ国交回復で合意した56年の共同宣言には、北方4島のうち、歯舞、色丹2島の日本への「引き渡し」が明記されている。国後、択捉両島については言及がないため、共同宣言を基礎とすることは、2島返還への方針転換を意味すると解釈された。
「2島返還」の合意は、「4島返還」という従来の一貫した方針と全く矛盾する。反対する外務省のロシア専門家らを中心に、閣議決定での方針変更が伴わないことなどから、合意などとはいえない、とことさら軽視する向きもある。
しかし、安倍首相はシンガポール会談直後の11月26日、衆院予算委員会で方針転換であることを事実上認め、次のように述べた。
「私たちの主張をしていればいいということではない。それで70年間(状況は)変わらなかった」「私とプーチンン大統領の手で必ずや終止符を打つ」――。
4島返還には成算がないと暗に指摘、2島返還で決着させたい思惑が伝わってきた。
たしかに、56年の日ソ共同宣言では引き渡される島として明記されたのは歯舞、色丹だけだが、国交回復交渉の日本全権とソ連外務次官との交換公文で、間接表現ながら残り2島の交渉継続が盛り込まれている。93年の細川護熙首相とエリツイン大統領(いずれも当時)による東京宣言でも、4島名をあげ、「帰属問題を解決する」と明記された。
シンガポール合意はこうした経緯を全く無視し、それまでの交渉で積み重ねてきた成果を一瞬にして崩壊させた。日本固有の領土である国後、択捉の返還を断念、主権放棄ともいえる外交上の大失策だった。
亡くなった安倍元首相の政策をことさら糾弾するのは本意ではないが、こうした厳しい指摘は、筆者を含め元首相の生前から少なからずなされていた。死後に始まった批判ではないことを指摘しておきたい。