2024年11月22日(金)

WEDGE REPORT

2022年9月17日

 だが、六者協議も一筋縄には進まなかった。共同声明直後に米国がマカオの金融機関に対して北朝鮮の資金を差押えしたことに北朝鮮が反発し、ミサイル発射を繰り返した挙句、04年、ついに核実験を実施した。これにより核問題の解決は非常に難しくなるように思えたが、結果的に北朝鮮は当初否定的だった六者協議にも復帰した。

 その後は、先の共同声明に従って、「朝鮮半島の非核化」「経済・エネルギー支援」「日朝関係正常化」「米朝関係正常化」「北東アジアの安保協力」の5つの作業部会で話し合いが続けられることとなった。しかし、核問題は解決の方向を見つけられず、六者協議は成果を出すことができないまま、ブッシュ政権からオバマ政権への政権交代を機に六者協議が休眠状態に陥ることとなった。

 この間、日朝関係は必ずしも進展していなかった。それでも六者協議の進捗状況に連動する形で、福田康夫政権の際には、北朝鮮が再調査に応じる姿勢を示し、それに応じて日本も独自制裁の一部を解除する方向を示していた。しかし、福田政権が退陣すると北朝鮮は、麻生太郎政権の北朝鮮政策を見極めるまで拉致問題の再調査を行わない、との立場を取った。小泉政権以降、第1次安倍晋三政権、福田政権がそれぞれ1年で政権交代となったことへの苛立ちとも思える対応であった。実際、麻生政権の後、自民党から民主党への政権交代がおき、鳩山由紀夫政権、菅直人政権、野田佳彦政権まで1年ごとに政権交代がおきた。

北朝鮮が期待した安倍元首相の役割

 ここまでの経緯から、北朝鮮は、日本と関係正常化するためには拉致問題の進展が不可欠であることを十分認識したに違いない。さらに、拉致問題の解決を含めて日朝関係の解決には一定の時間がかかり、なおかつ拉致問題について日本の国民世論が納得しなければならないことも学んだだろう。それゆえ、北朝鮮としてはある程度長期に政権を維持できなければ交渉する意味がない、と判断しただろうし、同時に、日本国民に拉致問題の進展を納得させられる宰相でなければならない、と考えたことだろう。

 その意味で、安倍政権は北朝鮮にとって十分に交渉に足る相手だった。第2次安倍政権はある程度長期政権となることが見込まれたし、なにより拉致問題について厳しい姿勢を取っていた安倍元首相を納得させることができれば国民世論も納得する、北朝鮮にはそうした思いがあったに違いない。

 実際に、安倍政権下の14年、日本と北朝鮮は拉致問題の再調査を約束したストックホルム合意に至った。この合意は、拉致に直接関わったであろう北朝鮮の国家保衛部の担当者が委員長になるなど、これまでの再調査とは異なることが期待された。

 しかし、16年1月から北朝鮮は核実験、ミサイル発射実験を繰り返す。日本は北朝鮮に対して制裁を科し、北朝鮮はそれに応じて時計の針を戻すように調査委員会を解体したのである。

 その後、安倍政権は、トランプ政権と共に北朝鮮に対して最大限の圧力を加えて姿勢変化を求めた。北朝鮮は18年の平昌オリンピックを機に対話攻勢に出て、韓国の文在寅大統領との南北首脳会談のみならず、史上初の米朝首脳会談まで行ったのである。だが、米朝首脳会談は翌19年2月のベトナムにおける第2回首脳会談で核問題への米朝双方の根本的違いを埋めることができず事実上の決裂となった。


新着記事

»もっと見る