2022年10月6日(木)

WEDGE REPORT

2022年9月17日

»著者プロフィール
著者
閉じる

平岩俊司 (ひらいわ・しゅんじ)

南山大学総合政策学部 教授

東京外国語大学朝鮮語学科卒業。2001年、慶應義塾大学大学院法学研究科博士取得。静岡県立大学国際関係学研究科教授、関西学院大学国際学部教授などを経て現職。著書に『北朝鮮はいま、何を考えているのか』(NHK出版新書)。

 小泉純一郎元首相が日本の総理大臣としてはじめて北朝鮮を訪問してから20年になる。しかし、5人の拉致被害者とそのご家族が帰国してからは、日本側が納得できるような進展は見せていない。それはこの問題の複雑さと難しさによるものと言ってよい。

 小泉元首相は、日朝国交正常化交渉を再開できるかどうかを確認しに行く、として2002年の9月17日に北朝鮮を訪問した。具体的には、①北朝鮮の核兵器開発疑惑に関する国際問題、②不審船と拉致問題に関する日朝二国間の問題、の状況を見極めるためであった。水面下の事前の交渉を経て小泉元首相は金正日前総書記と会い、北朝鮮に拉致問題を認めさせ、核問題についても北朝鮮が積極的に解決に向かう姿勢を見せたため、日朝国交正常化交渉の再開を決めたのである。

小泉元首相の電撃的な訪朝から20年を迎えたが、拉致問題は未解決のままだ(KCNA/AP/AFLO)

北朝鮮側からすれば、当時、米ブッシュ政権が北朝鮮のレジームチェンジも辞さないとの厳しい姿勢を示していたこともあり、小泉・ブッシュ間の特別な関係に期待したかもしれない。北朝鮮は、米国の扉が重いときは日本を通じて米国への道を探る。日本との関係が正常化軌道に乗れば、それをテコに米国との関係も正常化できると考えていたのだろう。だからこそ、金正日前総書記が拉致を認めて謝罪し、核問題にも前向きの姿勢を見せたのだと考えられる。

 ところが、北朝鮮の思惑とは異なって、日本の国民世論は拉致問題への北朝鮮側の対応に納得せず、国交正常化は進まなかった。北朝鮮は、拉致を認めた13人の内8人が死亡したとしたが、「死亡診断書」がねつ造されたものだったなど、北朝鮮側がこの問題に真摯に向き合っているとは感じられなかったため、日本の世論は北朝鮮に対して激しく憤り、日本として一切の妥協をするべきではない、との意見が大半を占めたのである。これ以降、拉致問題は日本にとっての北朝鮮政策の最重要課題となった。

「拉致・核・ミサイル」の解決は進まない

 日朝関係に動きが見られた直後の2002年10月、米国のケリー国務次官補が訪朝し、北朝鮮に新たな核計画疑惑をぶつけた。すると、北朝鮮の姜錫柱外務次官(当時)は「核計画以上の強力な計画を準備している」と話したため、北朝鮮の核問題をめぐる緊張は一気に高まった。第2次核危機の始まりである。もとより核ミサイル問題は日本にとっても極めて重要な問題であり、小泉訪朝で重要課題とされていたのは既述の通りである。こうして、拉致・核・ミサイルの包括的解決が日本の北朝鮮政策の基本となった。

 その後、北朝鮮の核問題は米国が中国に対して強く働きかけたこともあり、米朝中3者会談、その後シャトル外交を経て、03年8月から韓国、北朝鮮という朝鮮半島の2つの政権に日本、米国、中国、ロシアを加えた六者協議が始まる。こうした流れの中で、日本は北朝鮮との交渉を続けたが、拉致問題に関する関係国の温度差に悩まされることになる。核ミサイル問題を優先するためには問題の焦点を核ミサイルに絞った方がいい、という関係国もの意見もあったからである。だからこそ日本としては、核ミサイル問題の進展と拉致問題の解決を連動させるべく働きかけ、第4回目の六者協議で採択された共同声明に「日朝関係の正常化」を入れたことは大きな成果だったと言ってよい。

新着記事

»もっと見る