開戦から2カ月後、ルーズベルト大統領は敵性外国人やその子孫の強制隔離を可能とする大統領令に署名した。ただ、大規模な強制隔離は、同じ敵性外国人であるドイツ系やイタリア系に対しては実施されず、主に日系に対してのみ行われた。日系の2世や3世の多くは、米国生まれで米国籍を持っていたのにも関わらずである。
実際に強制隔離を指揮したジョン・デウィット西部地区防衛司令官は、米国生まれで米国市民権をもつ2世や3世でも日系の「血は薄まらない」と考えており、日系人による破壊活動がこれまで行われていなかったことを、これから行われる「確かな兆候」とみなすほどであった。今にして考えれば、このような荒唐無稽なロジックは、9・11同時多発テロの直後、イスラム系市民に対して用いられた論法と極めて似通っている。
人種主義の観点から日本人差別を憂慮する
しかし、中には日系人の強制隔離を憂えた米国人もいた。日本生まれで後に駐日米国大使となるエドウィン・ライシャワーもその一人である。強制隔離は、米国人がアジア人を差別し続けているという日本人のプロパガンダに正当性を与えてしまい、それによって白人の傲慢さにうんざりした中国が日本側に付くのではないか、とライシャワーは心配したのであった。
中国が日本側に寝返るのではないかという懸念は、国務省高官にも共有されていた。1942年の戦没将校記念日の演説でウェルズ国務次官は、人種、信条、肌の色による諸国民間の差別は廃止されるべきと演説した。1919年のパリ講和会議で日本が提案した人種差別撤廃案をウィルソン大統領は葬り去ったが、もはやそのような姿勢は許されなかった。
同じころハミルトン極東部長は、もし中国が組織的対日抵抗を止めてしまった場合、日本の指導の下で有色人種連合が成立し、少なくとも日本はアジア人種の指導者となるかもしれず、そうなった場合、日本に対する連合国の勝利が確実でなくなるかもしれないとの懸念を覚書に記した。
ホーンベック国務長官顧問も、日中連携の可能性を憂慮していた。米英からの援助が少ないことに中国の蒋介石が落胆しているという情報を得ていた彼は、中国が連合国を離れてしまうとアジアが反西洋でまとまってしまうと、米国政府内の有力者に説いて回った。
人種を軸に戦争を考えている者は、戦後秩序構想を検討する合同委員会にもみられた。外交政策諮問委員会内の会議で、海軍代表委員は、この戦争を東西文明の生き残りをかけた戦争であり、白人文明を守るために、国際的悪党である日本人を民族として根絶すべきとの意見を述べた。国務省からの委員も日本人の人口を減らすべきとの考えに同意し、日本を破壊するなら戦争継続中に行わなければならないと述べた。
連邦議会内でも、ある議員が人種戦争の可能性について発言していた。将来、黄色人種と白人種の間に人種戦争が起きる可能性があり、日本が中国を率いて、その豊富な資源を欲しいままにしたなら、西洋文明は滅ぼされてしまうかもしれないというのである。
戦場から遠く離れた米東海岸においてですら人種戦争的議論がなされていたことからも想像できるように、太平洋の前線では日本への敵意はより激しいものがあった。米海軍のハルゼー南太平洋方面司令官の口癖が「ジャップを殺せ、殺せ、もっと殺せ」であったことは有名である。兵士たちが、日本兵の耳をそぎ落として記念として持ち帰ることが広く行われていたが、ドイツ兵やイタリア兵に対しては同様のことは行われなかった。