新藏 古典的な免疫学は、病原菌が体に入ってきたらどのように対処するかという点に重きを置いていました。例えば今なら、どういう薬を作ったら新型コロナウイルスに勝てるかということです。ですが、敵が入ってこなくても、健康を維持するために、免疫系はゴミ掃除という点で役に立っている、というように、ここ数年で大きく流れが変わりました。
もう感染症は終わった、もう制圧できた、と日本では感染症研究に対する予算配分が減らされていましたが、コロナ禍により一変しました。感染症はまだ終わっていない。どんどん新しい敵が生まれてきます。
合田 「はやり」にあまり寄らないで、知的好奇心をベースに、広く研究することが重要ですよね。
富田 私が学生の頃には、脳は全身の中で唯一免疫が関係ない臓器とされ、「免疫租界」といわれていました。脳にリンパ管があると発見されたのはここ5年ぐらいの話です。これで脳に免疫細胞が入るルートがあることが明確になりました。それまでわれわれは、認知症は神経細胞が死ぬ病気だからと、神経細胞ばかり研究していました。脳の環境を整備している免疫細胞の異常が認知症に関わっているということが分かったのは、本当にこの10年ぐらいのことです。
人間は腸内細菌などと
相互作用し生きている
瀧口 続いては「腸内環境のカギは『IgA抗体』」です。最近、腸内環境への関心が高まっていますが、IgA抗体とはどのようなものなのでしょう。
新藏 先ほどの通り、私たちの体には自分で自分の体を守る調節機構、「恒常性維持」があります。これが乱れてどこかにしわ寄せが起きた時に人は病気になると私は捉えています。
認知症やがん、心血管疾患など、いろいろな病気に「腸内細菌」の異常が関わっているといわれています。生まれてから死ぬまで共生の仲間として私たちの腸の中に棲んでいる生き物、それが腸内細菌です。腸に届いた栄養分が同じでも、細菌の種類が違えば、それぞれ違う代謝物に消化します。最終的にその消化されたものを私たちが腸から取り込み、全身に巡らせます。恒常性維持に最も重要な作用を及ぼしているのが腸内細菌です。
加藤 腸内細菌とは、いわゆる善玉菌や悪玉菌のことを指すのでしょうか。
瀧口 良い代謝物を出すのが善玉菌、悪い代謝物を出すのが悪玉菌、ということでしょうか。
新藏 そうです。科学的には善悪のきちんとした決まりはありませんが。とある腸内細菌由来の代謝物を体の中に取り込むと、たとえばアルツハイマーになる、うつになる、リウマチになる、などと研究が進んでいます。
原因の次は治療ですが、腸内細菌を変えるのはなかなか難しいです。例えば良い代謝物を作る菌を選んで、それを飲む。ただ、腸の中には限られたスペースと栄養しかないので、菌の陣地取りの争いがずっと続いています。悪い菌が多い腸にどれだけ良い菌を入れても、排除されてしまう。だから「IgA抗体」で悪い菌を減らして空き地をつくり、良い菌を補充したらいいのではないか、と研究を進めています。
瀧口 IgA抗体は、悪い菌をやっつける抗体ということですか。
新藏 そうです。腸の中に100種類以上の腸内細菌がいるのと同じように、人間の体は何百種類のIgA抗体を大量に腸内に分泌しています。がん免疫薬「オプジーボ」のような抗体医薬では、工場の数百㍑のタンクで1週間培養してやっと3~5㌘の抗体を作れますが、私たちの腸は成人であれば1日に同じ量のIgA抗体を毎日分泌して、腸内細菌と戦ってくれています。私たちの腸は抗体の優秀な工場なのです。
合田 腸内細菌を変える件で、便移植というものがあります。便移植をした後に、その人の性格が変わったというような報告がありましたよね。
新藏 違う腸内細菌が入り、その細菌の作った代謝産物が神経系や精神に影響を及ぼすのは十分考えられることです。腸内環境をIgA抗体で改善して、いろいろな病気の発症をなるべく減らし、健康長寿を実現するのが夢です。