続けられてきた節約大作戦
12月16日、安保関連3文書が閣議決定された。いまこそ語るべきは、これまでの規模の防衛費による防衛力整備では、国民の命と暮らしを守ることはできないという事実にほかならない。30年近く前に筆者が書いた記事(読売新聞1994年2月23日付け夕刊)の一部を紹介させていただく。
火器や砲弾を運搬する機材が買えずに、ゴルフ場から不要になったカートを譲り受けたり、中古車販売店を回って、スクラップ前の車に残っている発煙筒を集めたりといった涙ぐましい努力と工夫の数々が並んでいる。このほか演習中に使うトイレットペーパーは隊員たちが持参し、雪中訓練用の防寒手袋も自前で用意するといった驚きの実態ばかりだ。>
だが、残念ながら「それは30年前の話だよ」と一笑に付すことはできない。陸自は今年、ウクライナ軍への支援として防弾チョッキや防寒用のコートなどを送っているが、武器等の装備品ではないとするために、部隊で要らなくなった「不用品」を送ったことになっている。もちろん新品を送っているのだが、部隊でその分を補充しようとしても予算がなく、冬本番を迎えた今、一部の隊員には防寒用のコートが支給されない事態となっている。
防衛費の議論から逃げるな
今回、安保関連3文書で防衛費の増額が打ち出された。反撃能力を保有し、防衛装備品の部品や弾薬などの調達量を2倍に増やすことなどが盛り込まれたが、詳述したように、とっくの昔から防衛費は不足していたのだ。
防衛費の上限を国民総生産(GNP)の1%とした1976年以降、防衛費の記事で繰り返し表現されたのは、「人件・糧食費が4割」、「人件費と装備品の後年度負担で6割」といった内容だ。裏を返せば、1%枠に抑えられた防衛費は、人件費と高額な装備品の支払いだけで硬直化し、必要があっても燃料費や弾薬、装備品の部品を増やすことなどできず、老朽化した隊舎の改修などは目をつぶらざるを得なかったのだ。
今回、「反撃能力」と並ぶ3文書のキーワードは「継戦能力」だが、欠如している実態を知っておきながら、1%に固執する政治が放置してきたに過ぎない。
そして、防衛費のもう一つの歪みが自衛官の充足率だ。陸海空自衛隊の定員は24.7万人と定められているが、予算上の実員は23.3万人で、1.4万人が未充足だ。
充足率は96.6%で比較的高率と思われるかもしれないが、陸自は92.7%と低く、部隊の中核となる20~30歳代の曹士クラスの充足率に至っては80%程度でしかない。大蔵省(当時)の反対で充足率を上げることができなかったのだが、好景気が続いた70年代には、「充足率を上げようとしても、どこに募集に応じる者がいるのか」と皮肉られるほど自衛隊は不人気職種で、結局、人を増やせば防衛費の硬直化は一層深刻となり、今に至るまで未充足が当たり前となってしまった。
ロシアのウクライナ侵略で、原発の防護を自衛隊が担えないかといった意見が地方自治体から聞こえてくる。過去にも福井県から要請があったが、防衛省の試算では、1カ月守り切るには普通科(歩兵)に加え、戦車を保有する機甲科を含め、600人から900人規模の部隊を投入し続けなければならないという。どこにそれだけの隊員がいるのか――。
サイバー部隊の大幅拡充にしても同様で、絵に描いた餅にしないためには、防衛費を増やし、充足率を上げる必要がある。