現代でも頭に入れるべき〝何でもあり〟のドイツ
清末から民国初年へと続いた列強による中国の富源の争奪戦が展開されていた時期、山川は四川省でドイツの「眞面目なる研究の結果」を目にし、米内山はドイツ領事の暗躍を語る。東京高等商業学校学生は大冶鉄鉱山を舞台にしたドイツの「狡猾」な「暗中飛躍」振りを知る。
これを言い換えるなら、あの時代の中国におけるドイツの振る舞いは「真面目なる研究」から「狡猾」さを発揮しての「暗中飛躍」まで、まさに〝何でもあり〟ではなかったか。その延長線上にショルツ首相の「中国の台頭を理由に中国を孤立させたり協力を阻害したりすることが正当化されてはならない」との発言を置いてみるなら、時代は違えどもドイツの利益の最大化を目指し「暗中飛躍」する姿が浮かび上がってくるだろう。
日本のメディアからは、メルケル、ショルツと続くドイツ政権の中国に対する一連の融和姿勢を〝利敵行為〟と批判も聞かれる。だが、中国を取り囲む国際社会が複雑化の度を加えるばかりの現状を考えるなら、日中関係だけを基盤にした画一的な対応では早晩立ち行かなくなるではないか。であればこそ、虎児を得んとするためには、〝虎穴に入るリスク〟を取ることも必要だろう。
それにしても先人はドイツの「眞面目なる研究の結果」から「暗中飛躍」する「狡猾」な姿まで、じつに冷静な目を持っていたものだと、改めて感心せざるを得ない。