合田 ただ、今の日本は博士が必要とされている分野があまりに減ってきていますよね。大学や国の研究機関ばかりで、最近はそこも先細りになっている。必然、学生や教員も減っていく。米国では安全保障分野、また製薬など生物工学(バイオテック)のベンチャーが進路として大きなボリュームを占めますが、日本ではどちらも存在感がありません。
瀧口 日本のバイオ系ベンチャーの役員の方々の経歴を見ると、博士号を強調してはっきり書いてあるような例も最近拝見しますが、まだ主流にはなっていないように思います。
江﨑 情報系、コンピューターサイエンス系、最近ではバイオ系でも、ビジネスを始めるには博士号を持っていないと相手に信用してもらえない、というのは世界的には普通です。
新藏 一方で国内は全く逆で、「修士で就職しないと企業が受け入れてくれない」「博士を取ったら就職先がない」という〝神話〟が学生の間で信じられています。「それは違う」と教えているのですが……。
海外の製薬会社と話をする時、向こうからは必ず博士が出てきます。そうすれば仮説ベースで議論ができて、新しいコンセプトの薬を生み出すことができる。ただ日本はそうではない。この人材のレベル差が、新型コロナウイルスワクチンを開発できなかったことに代表される、日本の製薬力が低下した遠因ではないかと思います。
日本企業と博士は
なぜ相性が悪いのか?
江﨑 企業自体も、挑戦を躊躇うようになってきていますよね。日本企業のガバナンスが、1990年前後、製造業が日独などの海外勢に圧倒され、調子が悪かった時代の米国のようになっていると感じます。
当時の米国企業と、今の日本企業が陥っているのが「短期主義(ショートターミズム)」ですね。経営者はリスクを取らず、会社を残すことを優先する。株主も「今のまま安い給料で働かせて、挑戦せず利益を上げた方がいい」とリスクを嫌う。米国はそれで失敗しました。
瀧口 日本企業はそれを20~30年遅れで導入してしまっているのですね。
江﨑 一方の米国は早々に方針を転換しました。GAFAなど儲かっている今の米国企業は、むしろリスクを取って投資を回し、新たな芽を育てている。そうした経営姿勢が、人材の使い方にも反映されているように思います。博士ってやはり、新しいことが好きですから、リスクを嫌う企業とは相性が悪いですよね。
加藤 イーロン・マスク氏のテスラが好例ですよね。上場から10年以上がたちますが、ずっと赤字を垂れ流してきました。でも、それでも会社は回る。利益をため込むぐらいならば、新しいものに投資していく。日本は対照的で、莫大な内部留保が安心材料となって、余計に挑戦を避けるようになってしまっています。
博士人材に適しているのは
終身雇用ではなくジョブ型雇用
合田 加えて、終身雇用などの日本式経営と、それに起因する労働市場の流動性の低さも、日本企業と博士の相性の悪さに拍車をかけています。博士は特定の分野のスペシャリストですから、採用当時は噛み合っていても、企業が事業の路線を変えた際に不適合な人材になってしまう可能性があります。米国だと博士のような人材はプロジェクトごとのジョブ型雇用なので、噛み合わなくなればクビにできる。それが当たり前になっていますが、今の日本では不可能でしょうね。
優秀な人ほど移動します。最悪なのは、優秀な人を一つの場所に固定することです。毎日同じ人と話していても、アイデアは生まれません。さまざまな環境を経験して、さまざまなバックボーンの人と接する。そうした多様性の中から、新たなアイデアは生まれてきます。米国のノーベル賞受賞者の多くが移民やその子孫であるというのは、こうした背景が理由にあるように思います。
瀧口 そうした人材の循環システムが、米国の強さなのですね。