2024年4月27日(土)

天才たちの雑談

2023年1月25日

日本の教育制度に根を張る
「平等主義」という病

瀧口 「不公平」というワードが出ましたが、こうした日本の「平等主義」についてはいかがでしょうか。

合田 日本の「ソルジャー教育」の表出ですよね。物事を効率的に前に進めるには、優秀なリーダーである「コマンダー(指揮官)」と、コマンダーに従う「ソルジャー(兵士)」がそれぞれ必要です。教育制度を設計する際には、このどちらを育成したいのかをはっきりさせることが重要です。

 米国のカリフォルニア州を例に挙げると、カリフォルニア大学(UC)がコマンダー教育を担い、カリフォルニア州立大学(CSU)がソルジャー教育を担っています。前者のUCには、僕自身が非常勤教授を務めるロサンゼルス校(UCLA)も含まれていますが、ここでは博士課程を通じ研究者や政治家、経営者、医者などを育成しています。一方、後者のCSUは修士課程までで、システムエンジニアや会計士、警察官などを育成しています。

瀧口 日本にはコマンダーとソルジャーを分けて教育しよう、という発想がないように思います。

合田 平等を重んじた結果、全てソルジャー教育になってしまっていますね。本来、博士はコマンダーになり得る人材の筆頭です。大量生産を担っていた頃の日本では、エラーを起こさない均一な人材、つまりソルジャーが求められていました。しかしそれだけではイノベーションを起こせません。

新藏 日本の教育制度は、それこそ義務教育の頃から、平等を重視しすぎているように思います。象徴的なのが国語の教育です。文章をどう解釈するかというのは、本来はディベートの材料であって、「正しい」「正しくない」で点数をつけられるものではないはずです。しかし、小学校低学年の授業参観に行った時、娘が違う視点で意見を言ったら、先生が全部それを否定してしまいました。このような「点数を取るための答え」を教えるのが、日本の教育になってしまっているのですね。

合田 それはまさにソルジャー教育ですよ。

新藏 大学に入ってからいきなり「コマンダーになれ」と言われても、無理ですよね。

合田 そうですね。米国ではプライベートスクール(私立学校)などが、小学校からコマンダー教育を施しています。ですが学費がとても高く、財力がなければ入れない。欧州は階級社会なので、生まれながらにコマンダーとソルジャーがはっきり分かれている。日本はその点、平等ではあるのですが、そのデメリットが強く出てしまっているのが現状です。

加藤 博士課程のようなコマンダー教育の対象を、必ずしも「指揮官」に限定する必要はないと思っています。普通の企業でも、一社員が博士号を持っているのはとても有用です。上司から指示を受けたとして、それが適切な指示とは限らないし、適切であっても部下がそれを正しく解釈するとは限らない。そこで部下がソルジャーであれば、間違った解釈に沿った間違ったアウトプットしか出すことができませんが、コマンダーであれば一度立ち止まって、自分なりに考え、正しく指示を解釈してくれます。

 博士人材の少ない職場、特に先端技術(ディープテック)開発の現場において起こりがちなのが、上からの指示に黙々と従っていることによって、結果的に使えないモノができあがる、という現象です。博士人材が社会に求められているということの本質は、こういった日本の現状を変えることなのではないでしょうか。

新藏 平等主義の観点からは、男性中心主義の問題もどうにかならないかと思っています。

合田 それもソルジャー教育の弊害ですよね。

新藏 そうですよね。「家事をしない男性」という一つの基準に対して、横並びに平等にしてしまっている。医者の世界はそれが特にひどくて、たとえば子どもの世話で夜7時の会議に参加できないだろうからと、〝戦力外通告〟をされる。でも女性比率が高い眼科を見ると、会議をお昼に開催し、仕事が回る仕組みに自然となっているのですよね(笑)。やればできるのです。

 昨今では、教員の女性登用に数値目標を掲げる大学もありますが、ルールを決める場に1人か2人の女性が入ったところで何も変わらないし、逆に強い問題意識を持っていない人を数合わせのために入れても仕方がない。男性中心主義の基準から外れてしまっている、若くて苦しい立場の人たちの声を吸い上げていくべきです。それは女性に限りません。


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