ルカシェンコの夢はクレムリン玉座だった
荒唐無稽な話ながら、1994年にベラルーシ大統領に就任したルカシェンコは、ロシアと統一国家を築き、最終的に自分がクレムリンの玉座に収まることを夢見ていた。当時のロシアのエリツィン政権にとっても、常にロシアになびいてくるベラルーシの存在は都合が良く、場合によってはエリツィン政権の延命工作に使えるかもしれないという計算も働いた。新国家を作った体にしてエリツィンの新たな任期を開始するという案である。両者の思惑が交錯し、ロシア・ベラルーシ間で「連合国家」を創設する旨の条約が結ばれることになった。
しかし、1999年8月にプーチンが首相に就任すると、状況が一変する。プーチンがエリツィンの頼りがいのある後継者として浮上することで、政権延命云々は必要なくなり、ロシアの国家体制を脅かしかねない大胆な統合案は無用の長物となった。
ロシア側は、他ならぬプーチン首相が陣頭指揮を執り、条約案を骨抜きにした。結局、同年12月にエリツィン・ルカシェンコ間で条約は調印されたものの、中身はすっかり空文の羅列と化していた。
この条約が成立した直後、99年の大晦日にエリツィンは電撃辞任し、ロシアの最高権力はプーチンに移行した。プーチンは2000年5月に正式に大統領に就任し、以降本格政権を築いていく。ルカシェンコがクレムリンの玉座に収まるなど、夢のまた夢となった。
これを境に、ルカシェンコはクレムリンのトップに立つ野望を封印し、ベラルーシという一国一城の主として生きることを決意する。ただし、資源もない小国のベラルーシが、自力で食っていくのは至難である。
そこで、ルカシェンコはロシアの内と外を都合良く使い分ける戦法を編み出した。ロシアがベラルーシに供給する天然ガスや石油の価格については、「わが国は統合パートナーだ」として、ロシア国内と同じ格安水準を要求する。しかし、ロシア側が共通ルール受け入れをベラルーシに迫ると、「それはわが国の主権事項だ」として拒絶する。絵に描いたようなダブルスタンダードだ。
こうした路線はロシア側を苛立たせ、両国間でしばしば波風が立った。「クレムリンがルカシェンコを引きずり下ろし、より従順な後継者にすげ替えるのではないか」といった憶測も、しばしば語られた。
しかし、「欧州最後の独裁者」の異名を持つルカシェンコは、ベラルーシが欧米に接近しない担保になる。ロシア側は、狡猾に立ち回るルカシェンコを忌々しく思いながらも、安価なエネルギー供給などを通じ、年間100億ドルとも言われる援助をベラルーシに提供して、ルカシェンコ体制を扶養してきたのである。
甦るゾンビ条約
ところが、2018年暮れになって、ロシア側は突如として、連合国家創設条約の最大限の履行をベラルーシに求めるようになる。上述のとおり、1999年の条約はプーチンが主導して骨抜きにした。確かに、将来的に両国が合意すれば、連合国家の憲法、議会、単一通貨等を導入する可能性があるとされてはいたが、現実にはその機は熟していなかった。にもかかわらず、ロシアが唐突に「最大限の統合に応じなければ、もうベラルーシを支援しない」と迫ったため、これはロシアへの編入をベラルーシに迫る「最後通牒」だとして物議を醸した。
この背景にはやはり、14年のウクライナ政変を受け、ロシアが自らの勢力圏維持に危機感を抱いたことがあっただろう。そこで、20年前にはあえて死産とした連合国家に、新たに命を吹き込み、ベラルーシをロシア圏に固定するために活用しようとしたものと見られる。