今年に入ってから、ベラルーシの独裁者ルカシェンコ氏による外交攻勢が目立っている。なお、欧米諸国はもはや同氏を正式な国家指導者とは認めておらず、本稿でも「ルカシェンコ大統領」という表現は用いない。
改めて、今年に入ってからのルカシェンコの外国行脚をまとめておこう。まず、同氏は1月30日~2月1日、アフリカ南部のジンバブエを訪問。そして、その足で中東に向かい、2月2~4日にアラブ首長国連邦(UAE)を訪れている。
2月28日~3月2日には、国賓として中国を訪問。間髪を入れず、3月12~13日に今後はイランを公式訪問した。さらに、4月5~6日にはロシアを訪問し、プーチン・ロシア大統領との首脳会談に臨んだ。
もっとも、一連の外遊の重要度には、かなりの開きがある。最初の2つ、ジンバブエとUAEは、物見遊山の域を出なかった。それに対し、中国、イラン、そしてロシアへの訪問は、体制の存亡にもかかわるものだった。
そして、ルカシェンコの不気味な動きは、ロシア・ウクライナ戦争、ロシアと欧米の敵対関係との関連からも注目を集めた。
ルカシェンコ訪中の際には、中国がウクライナ危機の和平原則を発表した直後だっただけに、「ルカシェンコが露中間のメッセンジャー役を務めるのではないか」といった見方も広がった。また、ルカシェンコがイランに出向いた時には、「イランからロシアへの武器供給の交渉を仲介しに行ったのではないか」との憶測も浮上した。
また、最近のロシアによる動きの中でも、国際社会を騒がせたのが、3月25日にプーチン大統領が、ベラルーシに戦術核兵器を配備することで同国と合意したと明らかにしたことであった。4月上旬のルカシェンコ訪露は、その衝撃冷めやらぬ中で行われたため、「核配備に向けた詰めの協議か?」との警戒感が広がった。
しかし、ルカシェンコとプーチンの関係性を長年ウォッチしてきた筆者などは、だいぶ捉え方が異なる。両者が一枚岩という前提で考えてはならないと思うのだ。