統合を渋るベラルーシ側に、ロシアからの支援が細ったこともあり、20年8月の大統領選でルカシェンコは大苦戦した。「ルカシェンコが8割得票し圧勝」とする現実離れした公式発表に憤ったベラルーシ国民は、脱ルカシェンコを掲げて立ち上がった。1994年の政権発足以来、最大の窮地に陥ったルカシェンコは、プーチンから物心両面の支援を取り付けて、どうにかピンチを切り抜けた。
ただ、これですっかりロシアの言いなりになり、要求されるがまま全面的な国家統合に応じるかと思われたが、そこはやはり「食えない男」ルカシェンコであった。その後もロシアからの統合要求を、のらりくらりとはぐらかしている。
また、ロシアも22年2月にウクライナへの軍事侵攻を開始したため、目下のところベラルーシに対し、経済・国家統合よりも、軍事面での協力を優先的に求めている模様である。それでも、本年2月には、クレムリンのベラルーシ併合計画なる秘密文書が流出し、ロシアは中長期的な構えながらやはりベラルーシを飲み込もうとしているとの観測が再び強まった。
プーチンのメッセンジャーではない
こういった次第であり、ルカシェンコとプーチンはもう20年以上も、狐と狸の化かし合いのようなことを続けてきたのである。お互いのことを信用していないし、顔も見たくないのが本音であろう。それでも、自分の権力を守るために、今は我慢してこの男と付き合うしかないと割り切り、腐れ縁を続けているのだ。
そう考えると、「ルカシェンコがプーチンのメッセンジャーとして中国に行く」とか、「プーチンがルカシェンコを通じてイランに武器の追加供給を求める」などといった見方が、いかにピント外れであるかが理解されよう。プーチンが中国やイランに伝えたいことがあるなら、自国の外交ルートを使えばいいわけで、ルカシェンコを介したりすれば話がこじれるだけである。
それではルカシェンコ訪中の主眼はどこにあったのか? これに関しては、普通に中国との二国間関係の発展、とりわけ中国からの投資呼び込みが主目的であったと考えられる。実際、ルカシェンコは習近平国家主席と、中国の一帯一路政策に沿って両国の経済協力を深めていくことを確認し合った。
もっとも、中国にとりヨーロッパをにらんだ橋頭保としてのベラルーシの利用価値は、急激に低下している。代表例を挙げれば、中国からカザフスタン~ロシア~ベラルーシを通って欧州市場に至る「中欧班列」というコンテナ列車がある。近年順調な拡大を遂げ、一帯一路の成功例とされることも多かった。ところが、欧州連合(EU)とロシア・ベラルーシの関係が悪化したことで、22年には鉄道による中国~欧州間のコンテナ輸送量も大きく落ち込んだ。
また、ベラルーシの首都ミンスクの郊外には、中国資本によって建設された工業団地「グレートストーン」がある。ここも一帯一路の一環とされ、中国企業が当地で現地生産を行い、EU市場に輸出する青写真だった。しかし、EUがベラルーシに厳しい制裁を導入した今となっては、そんなビジネスモデルは成り立たない。
他方、ルカシェンコのイラン訪問でも、「23~26年の全面的協力ロードマップ」に調印するなど、やはり中心となったのは二国間の経済協力であった。そうした中、イラン側が制裁をやり過ごす方法をベラルーシに伝授すると申し出て、ルカシェンコが身を乗り出す一幕があった。