今の日本は「林業における予定調和論」を果たせているのか
実は、「林業における予定調和論」という用語は江戸時代にあったわけでもなければ明治・大正時代にあったわけでもない。いろいろと調べてみると、この用語を1971年頃に編み出したのは、林野庁のある知恵者だったという説がある。
吉野林業などの経験を「神による予定調和」状態とみなしたことは卓見だったともいえる。ただし、この時期は、国有林を中心に大面積皆伐が進行し、自然保護運動と激突していた時代であった(まさに二律背反)。
その後の経過をみると、林野庁は本来の意味での「林業における予定調和論」に基づく森林づくりの転換を図ったのではなく、予算を取るための空疎な方便・言い訳・美辞麗句として使い回しただけで終わった。林野庁が悪用し続けたことによって、この概念はほぼ死語となりつつある。
日本が進むべき林業は
「生産・経済」と「公益・環境」がトレードオフの関係ではなく、林業では高いレベルで両立しうるのだというのが、本来の「林業における予定調和論」である。
今後の森林法制の組み立てを考える場合、本来の「林業における予定調和論」に依拠するのか、ヨーロッパのように「環境」と「経済」を分けて対応するのか(カップリングしているものを引き離すからデカップリング政策といわれる)。
ヨーロッパのデカップリング政策の背景として、「林業は産業的に成り立たない」という認識がある。
林野庁の唱える「林業の成長産業化」という空疎な旗をみていると、日本も一旦はデカップリング政策を採用するしかないと思い始めている。
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