通常、物事というのは、「あちら立てればこちら立たず」といった二律背反(トレードオフ)のケースが多い。例えば、これまでの「経済・生産」対「環境・公益」などはそのような関係にあったといえる。
それに対して、「予定調和」とはドイツの哲学者・ライプニッツによる哲学用語で、「神があらかじめ定めていた調和によって世界の秩序が整っているという原理」と説明される。宇宙は無数の単子(モナド)からなり、互いに作用し合うことなく独立しているが、それが調和しているのは神の定めたところによるというものだ。
私利私欲に突き動かされる人間たちの無秩序で乱雑な行動も、アダム・スミスによる「市場」という仕組みの発見できれいに説明できた。アダム・スミスはその説明の美しさに感激して、市場には「神の見えざる手」が働いているといったとされているが(真偽のほどは分からない)、ここにも神による予定調和的な考え方を見て取ることができる。
「林業における予定調和論」とは?
林業に関しては、聞き慣れない用語の多いことが特徴だが、「林業における予定調和論」もその一つだろう。
日本の林業では、「樹木伐採を含む林業生産活動をきちんと実施すれば、森林の持つ水源を涵養する機能、国土を保全する機能、自然環境を保全する機能などの多面的・公益的機能を同時に引き上げることが可能なのだ」という考え方が江戸時代から日本には広まっていた。
林業においては、「経済・生産」と「環境・公益」が対立するのではなく、両立するというこの考え方は、明治時代に入っても受け継がれ、1897年に制定された「森林法」に組み込まれ、さらに戦後に至っても1951年森林法や1964年林業基本法にも受け継がれたのであった。