イネは、田んぼに湛水(水を溜めること)して栽培する作物です。そのため、土壌中の無機ヒ素も吸収しコメに蓄積しやすいのです。
無機ヒ素は、発がん性や遺伝子を傷つける遺伝毒性があるのでは、と懸念されており、国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)が設立した政府間機関「コーデックス委員会」は、国際基準として玄米0.35 mg/kg、精米0.2 mg/kgを設定しています。欧州連合(EU)は、乳幼児向けの食品についてさらに厳しい0.1 mg/kgという基準値を決めています。
日本では食品安全委員会が13年、評価書をまとめましたが、知見が不足していることなどから「どのくらいの量の無機ヒ素が体の中に入った場合に、健康への悪影響が生じるかを評価することは困難」という結果に。日本人で健康影響は認められておらず、コメの基準値も定められていません。
農林水産省の調査では、精米の平均値は0.098mg/kg、最高値は0.25 mg/kgとなっています(18年)。国際基準を超えるコメが一部ある、という状況です。
そうしたコメを日本から輸出すると、基準値超過で突き返される恐れもあります。そもそも、遺伝毒性があるのなら、無機ヒ素の摂取量は減らすべきなのです。コメは、日本人の無機ヒ素摂取の3分の2程度を占める、とされています。したがって、コメの無機ヒ素低減も目指す必要があります。
ところが困ったことに、カドミウムと無機ヒ素は栽培においてトレードオフの関係があります。カドミウム吸収を減らす水管理をすると、無機ヒ素が吸収されやすくなってしまい、逆に無機ヒ素吸収を抑える管理をすると、カドミウムがイネに入りやすくなる、という傾向があるのです。両方のバランスをとる節水管理法が作られたのですが、高齢化が進む農家にとって作業負担が非常に大きく、ほとんど実行されていませんでした。
しかし、コシヒカリ環1号を栽培すれば、そもそもどんな水管理であってもカドミウムを吸収しません。そこで、無機ヒ素の吸収を抑える水管理をすれば、カドミウムと無機ヒ素の両方の濃度が低いコメが得られます。
ただし、コシヒカリ環1号もよいことばかり、というわけではありません。
突然変異が起きた遺伝子OsNRAMP5は、マンガンという元素の吸収にも関わっています。そのため、コシヒカリ環1号は、カドミウムをほぼ吸収しないのと同時に、マンガンを吸収する力が低くなっています。
そのため、ごま葉枯病という病気にかかりやすいのです。もっとも、対策がないわけではなく、マンガンを肥料として与えれば病気の発生を防止できます。
SNSなどで広がる誤情報
カドミウムと無機ヒ素という日本のコメにおける二大課題の解決につながるかもしれないコシヒカリ環1号。科学者の熱意のこもった素晴らしい品種です。
石川さんは現在、農研機構農業環境研究部門の無機化学物質グループ長。ほかの科学者らと共に、イオンビームなどによる突然変異を利用して無機ヒ素を吸収しないイネを開発したい、と研究中です。
カドミウムと無機ヒ素にかかわる遺伝子のみが変異し、ほかのところは従来品種と変わらないイネを作れれば、コメの安全性は格段に向上し、しかも、おいしさや収量などは従来と同等で、輸出しても問題ありません。
なのに。
冒頭で書いたように、「放射線育種米」や「放射線米」という言葉が広がりつつあります。放射線という言葉が誤解され、イオンビーム育種に対する科学的な理解が妨げられているようです。また、ウクライナの戦争とカドミウム汚染の深刻化を結びつける説まで出ています。
あまりにも間違った情報が流れているためか、兵庫県農業改良課は6月2日、「兵庫県がカドミウム低吸収性の水稲品種を導入するとするインターネット上の情報に関する県の見解」という文書を公表しました。兵庫県はその中でコシヒカリ環1号について、「選択肢として検討はしているが、導入の決定はしていない」とし、「従来の手法で開発された品種のお米と同様に安全なものです」と説明しています。
最後に、流布されている誤情報についての「Myth vs. Truth」(神話・作り話 vs. 真実)を作成しました。どうぞ、ちまたにあふれる情報を識別してください。コメの新品種に期待しましょう。