また、G7サミットで表明されたさまざまな目標を実現していくにあたり、実務面での連携を強化していく必要がある。その一つが、サミットで採択された「ウクライナに関するG7首脳声明」にも盛り込まれた「子どもの連れ去り」問題解決への継続的な取り組みである。ロシアに連れ去られたウクライナ人の子どもを取り戻すには、G7をはじめとした国際社会がロシアに対して継続的に圧力をかけつつ、国際刑事裁判所(ICC)の捜査に協力していくことが欠かせない。この点に関しては議長国日本が中心となり、ウクライナとG7との間で実務レベル協議が続けられていることは、もっと日本で知られて良いであろう。
設立当初のG7は、経済面での協議と協力に重きを置いていた。その後G7は、時代に適応しながら政治的・安全保障的な側面にも踏み込むようになった。議長国である日本には、ウクライナへの支援を続け、ロシアの侵略を非難しつつ不測の事態に備えるという役割が課されている。日本は議長国としてG7を主導しつつ、国際情勢の変化に応じたG7の役割のアップデートにも貢献していく必要がある。
ゼレンスキーが広島に見た
目標とする「復興後」の姿
「悲劇的な広島の写真の様子は、今のウクライナで私たちの目に映るものだ。残念ながら、いまバフムトで起こっていることは悲劇だが、現在の広島のような復興や再建が必ずできると信じている」
ゼレンスキー大統領は、サミット後の記者会見でこう語った。原爆資料館で広島の惨状の記録を目の当たりにし、強い衝撃を受けた様子だったとされるが、同時に見事な復興を遂げた広島に、ウクライナの未来を重ねたのではなかったか。また、同大統領はこの会見で「日本の支援に何を期待するか」を問われ、「エネルギー、鉄道、現代的なテクノロジー、医療」を挙げた。これまでの日本の支援実績を踏まえた現実的な内容である。
例えば日本は14年以降、国連機関を通じてドンバスのウクライナ国軍病院に最新医療機器を提供してきた。サミット後、ゼレンスキー大統領の要望通り、日本は対ウクライナ医療支援を一歩進めた。負傷したウクライナ兵を日本の自衛隊病院に受け入れ、リハビリを支援することを決めたのである。負傷兵の支援も、重要な復興支援の一つであろう。
また、昨年横浜市が姉妹都市であるオデーサに供与した移動式浄水装置は、オデーサのみならず近隣のミコライウでも活用され、緊急時に10万人分相当の飲用水を確保することができるようになった。武器供与のハードルが極めて高い日本だが、こうした人道支援を中心とした貢献や、地方自治体主導の支援を広げる余地はまだある。
ゼレンスキー大統領が、日本が誇る鉄道システムに言及したことも注目を集めたが、これはウクライナの知日派らによる従来の主張とも合致するものである。例えば、東京と広島の約830キロメートルという距離は、キーウとクリミアのシンフェローポリまでとほぼ等しい。ハンナ・ホプコー元最高会議(国会)外務委員長らは、クリミア奪還の暁にはキーウとクリミアを結ぶ「勝利の鉄道」を開設し、そこで走るのは日本の新幹線であってほしいと常々主張してきた。