2024年12月22日(日)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2023年7月31日

 1966年に静岡市で4人が殺害された事件は、被疑者である袴田巌氏の名前を取って「袴田事件」と呼ばれている。証拠の捏造が疑われる中で、複数回の再審請求が行われ、最終的には最高裁が決定した差し戻し審理の結果、東京高裁は再審開始の決定を行った。

(rogerio walter/foto76/gettyimages)

 東京高検はこれに対する特別抗告は行わず、再審の開始が確定した。だが、その一方で、静岡地検は再審において「有罪立証」を行う方針を発表し、社会を驚かせた。

 裁判所から「証拠の捏造」と指摘された証拠を改めて立証する方針ということもあるが、同時に東京高裁が特別抗告をしなかったにもかかわらず、地検レベルでは改めて有罪を立証すべく争うという動きをしているのも理解し難い。

 一番の問題は、検察による説明が圧倒的に不足している点である。検察という組織は検事によって構成されている。検事とは簡単になれるものではなく、司法試験に合格し、司法修習を終えた人物しか任官できない。ならば、一人ひとりが一国一城の主として独立性を持っているのかというと、そういうことではなく検察というのは国の組織として一体化されて動くことになっている。

 日本は中央集権主義であり、法律は全て全国に適用される。検察はその全国法に基づいて国家を代表して、起訴を行う権限を一手に握っている。その権力は強大である。

 今回のいわゆる「袴田事件」への対応が問題であるのは、このように強大な権力を持つ検察が、87歳という高齢の被告、しかも最高裁が差し戻して再審が確定し、その過程で証拠に関する鑑定や議論がほぼ出尽くしている事件について、あくまで有罪を求める「根拠」と「責任の所在」が不明確ということだ。


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