社会が複雑化し、時代の変化のスピードが加速度的に速まっている。こうした中、教育界や経済界からも「自ら問いを立てて考える人材」を求める傾向が強まっているように思える。言われたことをやるだけではなく、そのような人材が育っていくことは喜ばしいことである。
だが「自ら問いを立てる」ことは、決して生易しいことではない。
例えば、現代社会の課題の一つである「少子高齢化をどう解決していくのか」という問いを立てることは誰にでも簡単にできる。しかし、それをどう解決していくかのプロセスは、それにふさわしい知識や情報の蓄積、つまり、「溜め」が必要である。
「溜め」のない人間がいくら問いを立てたとしても、凡庸な解答しか出てこない。
また、現代のように社会が複雑になればなるほど、人々は、安易に答えを求めて、ワンフレーズや極端な言説に飛びつきやすい傾向が強まる。その意味で、SNSやユーチューブ全盛時代の問題として私が懸念しているのは、いわゆる「いいね!」や「映える」を求めて、自己表現が過激になっていることである。その動機には、「何でもない自分を認めてほしい」という現代人特有の自己承認欲求の強さがある。
だが、「いいね!」や「映える」をもらって、「自分は特別な存在」だと、多くの人間が誤認するようになると、没個性的になる。もちろんここからは、自力で問いを立てるような粘り強さは出てこない。
変えられないものを知り
変えるべきことを知る
失われた30年を経験した日本社会は今、
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