詰め込み型暗記教育から脱却しようとする動きは1990年代から今日に至るまで一貫した流れである。
私自身、小中学校時代の基礎学力の習得は学びの土台として必要不可欠であるという立場であるが、2007年の学校教育法改正で「思考力、判断力、表現力」を養うことが明示されたことは画期的なことであり、この方向性は決して間違っていないと思う。
それにしても、日本ではなぜ、これほどまでに詰め込み型暗記教育が行われてきたのか。端的に言えば、明治国家の誕生以来、西洋社会に追いついていくため、外から与えられた知識を短期間のうちに詰め込むことが必要だったからだ。そして、多くの日本人は立身出世を夢見て切磋琢磨し、さまざまな試験を受験することになった。『記憶術のススメ 近代日本と立身出世』(岩井洋著、青弓社)という本には、明治時代に人々の間で「記憶術」が大流行した様子が描かれており、現代にも通じる面が見られる。
日本型教育は戦前・戦後・高度成長期を経て、バブル崩壊に至るまで一定の役割を果たしてきた。特に高度成長期には、学校が基礎的なことを詰め込んで教育し、就職後は企業内教育で人を育てる仕組みが強まった。また、当時は、人並みの努力をしていれば、どこかに「着地」できる社会でもあった。
だが、バブル崩壊以降、大卒でも、正社員になることや安定した雇用があることも保障されない時代になった。
「現場で工夫を」では
インパール作戦と同じ
流動的な時代だからこそ、一人ひとりが自分でものを考え、学び、行動し、新たなことを創り出す能力が必要になっている。そうした教育を行うためには、教員自身にもその能力が備わっていることが大前提である。
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