2024年7月16日(火)

INTELLIGENCE MIND

2023年11月23日

 ミンスミート作戦は43年4月に実施された。これは連合軍のシチリア上陸作戦の犠牲を軽減するために練られた作戦である。当時、シチリア島は枢軸軍に守られていたが、連合軍のイタリア半島侵攻のためには、シチリア島の奪取が必要とされた。そこで43年夏に大規模なシチリア上陸作戦が計画されていたが、それは多大な犠牲を伴うものである。そこで上陸作戦を容易にするため、偽情報によってシチリアの守備隊を多方面に割かせようということが検討された。具体的には連合軍の上陸先が隣のサルデーニャ島やギリシャであるという偽情報を相手に掴ませ、シチリア島に守備隊を集中させないようにするというものである。問題は偽情報に真実味を持たせ、かつ、相手に必ず情報を掴ませる、という点であった。

チャーチルも賛同
戦局を変えた作戦

 この問題を検討したのが、英海軍情報部のユーエン・モンタギュー少佐と英保安部(MI5)のチャールズ・チャムリー大尉らであった。チャムリー大尉は、英将校の死体に偽情報の入ったブリーフケースを抱かせ、それを海に流してドイツ側に回収させるという奇想天外なアイデアを発案したのである。モンタギューの上司にあたるジョン・ゴドフリー海軍情報部長はこの案に反対しているが、ウィンストン・チャーチル首相が賛同したため、実行されることになった。実際、チャーチルは乗り気で、「失敗すれば回収してまた泳がせればよい」とまで発言している。

ミンスミート作戦を主導したユーエン・モンタギュー。刑事弁護士としての一面も生かし、戦略と心理的な緊張感を駆使する逸材だった(BETTMANN/GETTYIMAGES)

 こうして英陸軍情報部の13号室に、計画の実行班が設置された。メンバーは軍人や情報部員、さらには芸術家、ヨットの専門家まで集められ、総勢14人のチームとなった。モンタギューはロンドンの路上で死体となって発見されたグリンドゥール・マイケルの遺体を、英海兵隊の「ウィリアム・マーティン少佐」という架空の人物に偽装したのである。そして偽造された文書には、帝国参謀本部副参謀長アーチボルド・ナイ陸軍中将の署名で、連合軍がギリシャとサルデーニャ島への上陸作戦を行うことが示唆されていた。この文書はブリーフケースに収められ、「マーティン少佐」の死体とともにスペインのウエルバという街の沖合まで運ばれ、そこで闇に乗じて海に流された。

 翌朝、地元の漁師がこの死体を発見し、スペイン当局に引き渡されている。当時、スペインは中立国であったものの、同国のフランコ政権はドイツ寄りであったため、英側は書類が必ずドイツに渡されるとの確信があった。英側は書類がドイツ側に渡ったことを確認すると、当時米国を訪問していたチャーチル首相に対して「ミンスミートは丸のみにされた」というメッセージを送っている。一方、ドイツ側はこの情報を信じたようで、ヒトラー総統自らサルデーニャ島の守備を強化するように命じており、ドイツ本国で病気療養中であったエルヴィン・ロンメル大将をギリシャに向かわせた。

 こうして43年7月、連合軍はシチリア上陸作戦を成功させ、地中海方面の戦局は連合軍優位に傾いていくことになる。

 それから約半世紀後の97年、英国政府はスペインのウエルバにあった「マーティン少佐」の墓石にこう刻んでいる。「『グリンドゥール・マイケル』英国海兵隊ウィリアム・マーティン少佐として軍務に服す」。

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海事産業は日本の生命線 「Sea Power」を 国家戦略に
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