2024年5月15日(水)

絵画のヒストリア

2024年2月25日

三島の性的アイデンティティ「聖セバスチャン」

 あらかじめ三島と森田の割腹による自裁という到着点から逆算したような、分刻みの周到な計画は、三島の巧みな戯曲を思わせる。クライマックスはこのバルコニーという〈舞台〉の演説であり、直後の二人の死でそれは完結する。

 無力な象徴天皇と空洞化した日本の伝統文化、戦力を否定された自衛隊と憲法など、戦後の〈政治〉への憤りを三島はそこで滔々と論じたが、つまるところそれは、彼がこの舞台で演じる〈聖別された死)の賑やかな書割というほどのものではなかったか。

グイド・レーニ『聖セバスチァンの殉教』 (1615-16年、油彩・カンバス、ローマ パラッツォ・ロッソ)

 〈その絵を見た刹那、私の全存在は、或る異教的な歓喜に押しゆるがされた。私の血液は沸騰し、私の器官は憤怒の色をたたえた。この巨大な・張り裂けるばかりになった私の一部は、今までになく私の行使を待って私の無知をなじり、憤しく息づいていた。私の手はしらずしらず、誰にも教えられぬ動きをはじめた。私の内部から暗い輝かしいものの足早に攻め上ってくる気配が感じられた。それは目くるめく陶酔を伴って迸った‥‥〉

 三島由紀夫は24歳の時に書いた自伝的な出世作『仮面の告白』のなかで、主人公の少年が自宅の父親の本棚にあった画集のなかにグイド・レーニの『聖セバスチァンの殉教』をみつけ、両手を縛られた裸体に数本の矢を受けて苦悶するモデルの若者の姿に興奮して初めて自涜をする有名な挿話を描いた。

 この絵の主人公である一人の青年の苦悶と死の伝説は、古今のあまたの画家たちによって繰り返し描かれてきた。三島がレーニの絵とともに深く親しんだのは、このモデルの殉教者を戯曲化した20世紀イタリアの作家、ダンヌンツィオである。晩年にその作品の翻訳に打ち込んだ三島は「あとがき」にこう記している。

 〈この若き親衛隊長はキリスト教徒としてローマ軍によって殺され、ローマ軍人としてキリスト教によって殺された。彼はあたかも、キリスト教内部において死刑に処されることが決まっていた最後の古代世界の美、その青春、その肉体、その官能性を代表していたのだった〉(ダンヌンツィオ『聖セバスチアンヌの殉教』)

 グイド・レーニのセバスチァン像は、いわば三島由紀夫の性的なアイデンティティーについての戸籍謄本である。それを戯曲化したダンヌンツィオは第一次世界大戦期のイタリアでアドリア海に面した港湾都市フィウーメの奪回に蹶起したファシストの英雄的司令官でもあり、戦前ひろく日本にも名前を知られた。45歳で自裁する三島にとって、古代ローマと20世紀を結ぶ二人の〈英雄〉は、おのれの〈性〉と〈死〉をつなぐ神話的なモデルとして生涯を生き続けたのである。

 3世紀、古代のローマの神殿の円柱に縛められ、裸身にキリスト教徒の矢を受けて殉教するセバスチァン。20世紀にこのモデルを戯曲にしたダンヌンツィオは、詩や小説の執筆のかたわらで愛国的な司令官として入城したフィウーメの知事公舎のバルコニーに立ち、群衆を前に「フィウーメか死か!」と咆哮した。

 自決の日に「楯の会」の同志の若者と三島が立った市ヶ谷の総監部のバルコニーは、「聖セバスチァン」という古代ローマの青年の殉教の場面と重なり、その伝説を戯曲化して自らも祖国のための蹶起した、20世紀のダンヌンツィオという〈英雄〉の舞台とも重なるのである。


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