青森ヒバの施業方法(取り扱い)については戦前から研究されており、1930年にヒバ天然林施業法が確立していた。それにもかかわらず、ここでも拡大造林の嵐が吹きまくり、ヒバ林を皆伐してスギを造林したのである。
耐陰性の強いヒバは、200年生に近い鬱蒼とした林床でも稚樹が生えている。そして林冠(森林の上部の樹木の枝葉同士が集まった部分)に隙間(ギャップ)ができると、光が林床に届いて稚樹は急激に成長を始めるのだ。
だから択伐で上木を収穫すれば後継樹が伸びてくる。つまりヒバ林では林床に稚樹があれば伐採前に更新完了していると見做すことができる。
この特性を見逃して皆伐し、スギを造林したのはいいが、すでにあったヒバの稚樹が伸び出してそれがスギを追い越す。もともとヒバの適地だから当然のことで、ここで頭を切り替えてヒバを育てればいいのだ。ヒバの方が成長がよく、材価も高いのだから、素人だったらヒバを残すだろうが、ここで林業技術者はヒバを除伐した。
しかも成林したスギは飛び腐れがひどくて売り物にならない。飛び腐れとは、スギノアカネトラカミキリの幼虫が樹幹に穿孔(せんこう)して材を劣化させる被害のことだ。もともとヒバの天然林には飛び腐れが多いのだ。
結局、適地適木という造林の基本でもある自然の摂理に従い、ヒバ林の天然更新を継続できなかった。帰するところは、林業技術者を自称したにもかかわらず、過去の成果についての無知、観察眼の不足、頑迷さを克服することができなかった。
国有林であるが上での功罪
美林の消長は何を意味するのか。天然秋田杉のように消えかかったものもあれば、屋久杉のように世界自然遺産になったものもある。
国有林であったがために、一応森林計画が機能して比較的大面積に残存していたこと、私権や地域の思惑を超えての自然保護意識の高まり=国民世論に対応できたことは、評価してもよいだろう。