前回「【蝕まれる日本の国有林】積み上げた債務は3.8兆円!知られざる国有林の姿とは?」で、戦後国有林のどちらかと言えば負の歴史を紹介したが、その間に多くのものを失い、破壊し、また残したもの、新しく生み出したものもある。
三大美林たちの行方
今の人たちはほとんど知らないだろうが、かつては日本三大美林というのがあった。いずれも針葉樹林の天然林で、青森のヒバ林、秋田のスギ林、木曽のヒノキ林だった。
針葉樹の端正な外見もさることながら、いずれも高級材として利用価値が高かったことも美林の要素だったのだろう。拡大造林のおかげで針葉樹人工林の全盛期となった現在から見れば、森林に対する価値観が違った時代の産物である。現代では、春の芽吹きに新緑、秋に見事に紅葉する広葉樹林の方が美林に相応しいのかも知れない。
しかし、企業的経営を求める特別会計制度(独立採算制)のもとで木材販売収入の確保が第一義となって、これらの美林は瞬く間に伐採されていった。
当時の秋田営林局長は林野庁長官へつながる出世コースだった。局長は林野庁の指示どおりの収入確保ために、また欲望に際限のない地元製材所(国会議員に直結)へ供給するために、高価な天然秋田杉の増伐をためらわなかった。
こうして瞬く間に秋田杉の美林が消えていった。現在、三大美林のうちで残存量が最も少ないのは秋田杉である。局長も技官の矜持をもった仕事をするのが本旨だが、出世の欲望と地元業界・国会議員への配慮には勝てなかった。
こうしたいかにも日本的な社会背景が、前回述べた国有林野事業の累積債務を生み出した主因といえるのではないか。
写真1は、仁鮒水沢の保護林(能代市)で、樹齢300年、樹高50メートル(m)、直径1mを超える大木が並び壮観である。昔の職員は「ここは悪い林だったので残した」と言う。もとの森林はどれだけよかったのだろうか、想像もつかない。
天然秋田杉林が一番広く残っているのは秋田市の仁別国有林である。森林博物館の前には写真2のように大木が輪形に密集して育っている。針葉樹は切り株の周囲で発芽しやすく、ここでは切り株を中心に天然杉の大木が8本も円形に並んでいて非常に珍しい。
この中心にあった切り株はすでに腐朽してなくなっている。ここから大平山への登山道を登れば、太い天然杉林が現れて往時の美林を思い起こさせる。