これを防ぐためにはどうすれば良いのか。社会保険労務士の鈴木麻耶氏は、プレジデントオンライン記事『なぜ「GW明け」に新入社員は退職しやすいのか…新人をうっかり追い詰めてしまった「悪気のない一言」』の中で、「最近のZ世代は指導に過敏に反応しやすい。先輩・上司の思わぬ一言が、新人を追い込んでしまうことがある」とする。
「前にも言ったよね」「これ何回目?」「こっちでやるからもういい」「言われたことだけやればいいから」「逆に何ならできる?」「もう学生じゃないんだからさ」などをNGワードとしたうえで、『上司の役割とは、適切なリーダーシップでチームのモチベーションを上げることと、適切なマネジメントで、チームの能力を発揮させ成果を最適化させることです』と説く。
確かに記事のいう通り、「上司の仕事はチームの能力を発揮させ成果を最適させること」に他ならない。チーム員に対する一定の気遣いと配慮は不可欠だろう。
ただし、信頼というのは相互的なものであり、上司もまた同じ人間である。社員として働く以上、新入社員も「お客様」で在り続ける訳にはいかない。「チームの能力を発揮させ成果を最適化させること」には信頼関係構築のみならず、一人ひとりに共に働くパートナー足り得る自覚とスキルを身に着けてもらうことも含まれるはずだ。
そのためには、双務的な努力と歩み寄りが必須になる。無論、ハラスメントの類などは論外とした上で、「楽しく快適な職場環境とキメ細やかな配慮が行き届いた教育が提供されて当然」「気に入らないならリセットすればいい」とばかりに上司や職場を消耗品扱いする新人、そしてそれを「腫物」のように放置する「やさしさ」は、むしろ成果の最適化を遠ざけるのではないか。
それは「やさしさ」か、それとも「甘やかし」か
そもそも、こうした「やさしさ」が本人にとって真に「優しい」のかも疑わしい。
たとえば、業務で新たに自転車に乗ることが不可欠になったと仮定しよう。一度も転ばず自転車を乗りこなせるようになる人は稀であろうが、だからといって「自転車に乗せようとしたらハラスメント」「練習で転んだから二度と乗らない」に類した主張が正当化されるべきだろうか。
いかなる言い訳をしようが、「必要な業務が遂行出来ない」というシビアな現実からは逃れられない。「上司が代わりに乗ればいい」「自転車なんて廃止しろ」などの他責や代替案で解決しない場合、どうするか。
もし「自転車に向いていないから諦める」というなら、その選択も尊重されるべきではある。事実、SNSなどには「嫌ならすぐ辞めるのが最適解」「退職される会社のほうに問題がある」「ダメな人間関係はすぐに切れ」に類した、逃避と他責を正当化する「やさしさ」とそれを称賛する声が頻繁に「バズって」いる。もちろん流行りの退職代行を使い辞めるのも自由だ。退職代行業者は望み通り、「やさしく」お客様扱いしてくれることだろう。
ただしその場合、「自転車に挑戦することで得られたかもしれない新たなスキル、それを生かした未来の選択と可能性」が失われる。自転車程度なら取るに足らないと思うかもしれない。しかし、これがたとえば「パソコン」「電話の使い方」であったらどうか。そして実務経験から得られるスキルのほとんどは、「パソコン」「電話」ほど判り易く可視化などされていない。
一事が万事、あらゆる仕事や困難を選り好みして避け続けることは、「実務経験の機会損失」「そのまま歳を取る」を消極的に選ぶことを意味する。また、安易な転職を繰り返すことで逃げ癖が付いたり、転職活動の際に「仕事が出来ない可能性がある」「トラブルを起こしやすいのではないか」など、何らかのリスクや問題を抱えていると疑われることもある。
社会における人脈は思いの外に狭く、意外なところで繋がっていたりもする。「ガチャ失敗」「リセマラ」感覚で人間関係を容易く「切る」新人は、それらのリスクと不利益を本当に理解しているだろうか。
人手不足の中、職に就けない人も
確かに、現代の就職事情は人口減少による人手不足と働き方改革などの影響で、空前の「売り手市場」ではある。今や大卒者の就職内定率は86.0%に達し、企業が求人をかけても応募が集まらないケースは珍しくない。
ただし例外もある。「氷河期世代向けの求人」だ。氷河期世代のキャッチアップを目的とした自治体職員などの正規採用枠には事あるごとに応募が殺到し、倍率600倍というケースまである。氷河期世代だけは、変わらぬ氷河期のままだ。
これがどういうことかわかるだろうか。即戦力となり得るスキルや実務経験があれば転職も有利かも知れない。しかし就職氷河期世代には、「実務経験である」と社会から広く認められる仕事を、本人が強く望んでも決して得られなかった状況がありふれている。