成人後の年月は想像以上に早く過ぎる。いつでも「あの頃」に戻れるかのような錯覚だけを残したまま、体力も気力も信じ難いほど急速に衰え無理が出来なくなる。思わぬ病気などのリスクも高まる。親はそれ以上に老いてケアもお金も必要になる。
そうした中、いかに好景気であろうとも、ほとんどの企業は若者を欲しがり、中高年は豊富な知識や実務経験を持つ即戦力でもない限り敬遠する──。まさに今、氷河期世代が直面している現実である。
欧州には「地獄への道は善意で舗装されている」との諺がある。筆者の新著『「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』でも、現代社会において一見して「優しさ」と見做される「易しさ」こそが問題を益々解決困難に導いている現状を記した。
場当たり的な「やさしい」言説で人気を集めるインフルエンサーや流行りの「正しさ」は、それらが勧めた選択の結末に何一つ責任を取らない。まして退職代行業に至っては、とにかく目の前の人間を1人でも多く退職させること自体がビジネスであり、「目的」「利益」そのものである。それらを十分に理解した上で、適切な利用を心がけるべきではないか。
いつまでも“今”が続くわけではない
さらに、時代や状況が変化すれば真っ先に淘汰されるリスクもある。
たとえば氷河期世代が子どもの頃、一部の企業は内定者を繋ぎ止めるため海外旅行にまで連れていくほど厚遇したと聞く。それからたった数年後、自分たちの順番が来た時に何が起きたかは既に記した通りだ。今の恵まれた環境がいつまでも続く保証は無い。
逆に、たとえば筆者にとっては陽射し無き過酷な環境であった過去も、当時は全く想像すら出来なかったきっかけで大きく変わった。
人生には必ず浮き沈みがある。長く生きるほどさまざまなことがある。「人間万事塞翁が馬」とは、良く言ったものである。
偉そうなことを言える立場ではないが、憂鬱になりがちなこの季節、どうか目先のことに囚われ過ぎて未来を過度に楽観せず、同時に絶望もせず、どなた様にも幸せに長生きしてほしいと願う次第ではある。