「貨幣」の3つの機能
こうして見ていくと、物々交換の問題点を補うものとして「貨幣」が誕生したということがわかってきます。ここで、貨幣が持っている3つの機能について整理したいと思います。
物々交換では、都合よく交換相手を見つけるのが困難でした。先ほどの例えを持ち出すと、漁師が野菜を欲しいと思ったタイミングで、農家が魚を欲しがっているとは限らないという問題です。ここで登場するのが貨幣です。交換手段として貨幣を媒介させることで、お互いの需要と供給のタイミングが一致しなくてもスムーズな取引が行えるようになります。
物々交換では、それぞれの物品の交換レートが曖昧でした。仮に魚と野菜の取引が成立したとしても、どれくらいの魚とどれくらいの野菜を交換するのが適切なのかがわかりません。そこで、お互いに価値を共通認識するために用いられたのが貨幣です。たとえば「魚は1匹で1,000円、野菜は1㎏で1,000円だから、魚1匹と野菜1㎏を交換する」というように、価格をつけることでそれぞれの物品の価値を可視化できるようになります。
物々交換では、価値を保存しておくことができる期間に限度がありました。タイミングよく交換相手が現れなければ、せっかくの魚を腐らせてしまう恐れがあるからです。しかし、貨幣であれば価値が急激に下がることはありません。そのため、安心して価値を蓄えておくことができるというわけです。
「貨幣」のはじまりと変遷
貨幣の歴史をたどると、紀元前16世紀から8世紀ぐらいまではモノ(石、貝、米、塩など)を貨幣に見立てた「物品経済」(Goods Economy)*1の時代がありました。
貨幣として使用された物品は、大きさや重さが手ごろで携帯・運搬が容易であること、そして価値が変動しにくく長期間の保存が可能であることから、取引の手段として十分に機能することができました。なかでも、貝(貝貨)はアジアを中心に広く使用されていました。おカネに関する漢字の部首に、“貝”の字が使用されているのもそのためです。
なお、貨幣として用いられる貝は何でも良かったわけではなく、巻貝の「子安貝(宝貝)」*2が一般的でした。子安貝が用いられたのは、その美しさゆえに装飾品としての価値があることや、特徴的な形で誰もが一見して子安貝だと認識できたからだと考えられています。
紀元前7世紀には、アナトリア半島リディア王国*3で作られた最古の金属貨幣「エレクトロン貨」(Electrum)が登場しました。エレクトロンとはギリシャ語で「琥珀」を意味します。エレクトロン貨は金銀合金で、その淡黄色が琥珀を連想させるものであることからこの名が付けられました。
エレクトロン貨の登場以降、金属貨幣は広く世界に普及され、三種の鉱物「金・銀・銅」による貨幣鋳造システムは現在にいたるまで続いています。
また、世界で最初の本格的な紙幣は、10世紀に中国(北宋)で使用されていた「交子」だと言われています。鉱物からつくられる貨幣は生産量や流通量に限りがありましたが、当時すでに製紙と大量印刷の技術が確立されていた中国では、紙幣を制限なく発行することが可能でした。ちなみに、“制限なく発行できる”という性質が、後に問題となるインフレやバブルの根源的な原因となっていきます。
*1 日本の江戸時代などでは、「米」(コメ)が通貨単位として使われてきましたが、後に「両」をはじめとする金属貨幣に移行していきます。
*2 安産のお守りとされていることから「子安貝」と言われています。
*3 現在のトルコにあたります。