人が「出したもの」と向き合う
緊急事態下の現場の矜持
滝沢 持論ですが「ごみはうそをつかない」。社会を映し出す鏡と言っても過言ではありません。ごみを見ると、どういう気持ちでその人が捨てたのか、大体分かるんです。例えば、コロナ禍では着用し終わったマスクを家の中に持ち帰りたくないという思いからか、集積所にむき出しのまま大量に置いてありました。怖いのは私たちも一緒なんですけど、「あとはおまえら、やっておけよ」って言われているような気がして悲しかった。集積所は、単なるごみ箱じゃないです。
橋本 下水道の仕事についていえば、各家庭から流れてきたし尿と対峙するわけですよ。排せつ物は感染源にもなり得ますから、罹患者を出さないよう、現場はとても気を使っていました。しかし、彼らは日々、安全な水を24時間途切れさせずに送るということに、誇りを持って仕事しています。断水は人々の命を左右することにもつながりかねませんからね。
滝沢 当時、ごみが増えた分、人手が欲しい状況の中で、たくさんの人が集まりました。でも、その内実は、コロナ禍で職を奪われたホストや旅行代理店の人などが多かった。それでもごみが多すぎて、毎日2時間くらいは残業してました。
少し話がそれますけど、先ほど「ごみはうそをつかない」と言いましたが、これはし尿を吸引するバキュームカーでも同じだそうです。私の知り合いから聞いた話ですが、吸引する量が減れば、「この家のご老人はそろそろ亡くなるな」、臭いに変化があれば、「この方は糖尿病になったな」などが分かるそうです。その意味で、「し尿もうそをつかない」と言えるでしょう。
─どうすれば、現場の仕事の尊さに、国民は気づけるでしょうか。
滝沢 「顔の見える関係」をつくるのがやっぱり大事ですよね。私の周りの芸人でも、「滝沢が回収に来るかもしれないから」と、分別してくれる人が増えたり。そういう人を一人でも多く増やすのに、エンターテインメントの力は大きくて、そのうちの一つにSNSがあります。
ただ、大事なことは、「同じこと」を「同じ強度」で言い続けるということです。私は「こうやって分別してほしいと、10回くらいは言ってるけどなぁ」と思うこともあるのですが、定期的にXで発信していると、そのたびに「初めて知りました」という人が出てくるんです。まだみんな知らないのだという前提に立って発信し続けるというスタンスは大事です。
橋本 働いている姿が見えないと、親しみやすさや尊敬の気持ちが湧かないということにつながっているんじゃないかなと思います。近年、子どもたちに職業体験をさせる施設が人気ですが、そこにごみ収集員の仕事はありません。子どもたちが体感・体験できるエッセンシャルワークは、限られています。現場の深刻な話を聞かせるだけではなくて、体感・体験できる機会があるといい。滝沢さんが言うようにエンタメの力で増やせていけるといいですね。
また、エッセンシャルワーカーの仕事は、本来なら自分たちがやらなきゃいけないことを、お金を払って誰かにお願いしているものが多い。でも、その先でそれが解決しているとは限らない。下水道もそうで、し尿が家の中に残っていたら嫌だから、それを流して誰かにやってもらっているわけですが、流れていった瞬間に「終わった」と思っている人が多いのではないでしょうか。
滝沢 それはごみも同じですね。例えば、不燃ごみを持ち上げた瞬間になにかがポトンと落ちて、なんだろうなと思ったら包丁だったことがあったんですね。あれは危なかった。これもつまり、そのごみを出した人にとっては「出したらもうその時点で終わり」なんです。そこから先、誰がどうやって回収するかとか、見えないものに対する想像力や優しさが持てていないんです。
橋本 見えないといえば、上水道も下水道も水道管は地下に埋設されていますから、余計に見えにくい。コロナ禍で、日頃出さなかった家庭ごみをたくさん出すことは、現場で働く人の姿を少しでも想像できれば、そんなことしないはずですよね。滝沢さんがおっしゃった通り、出したその瞬間に自分のごみ問題は解決しているということなんでしょうね。
※こちらの記事の全文は「Wedge」2024年7月号で見ることができます。