2024年8月18日(日)

古希バックパッカー海外放浪記

2024年8月18日

オートバイ部品卸問屋の主人のファミリー・ヒストリー

 ホテルの対面の日本のバイク部品卸問屋の主人は58歳。彼は華僑だが中国語を全く解せず自分の家族姓の漢字すら知らない。初代が中国のどこの出身かさえ知らない。祖父の代から醸造を生業としてウイスキー、ラム酒を製造・販売。

 彼の兄弟姉妹は13人。長男が家業を継いで残りの兄弟は独立してカーディーラー、不動産など別々の分野で事業している。主人は当初中華街で店を開いたがミニバイクの急速な普及で事業が拡大し手狭になったので中華街から少し離れた現在のビルを購入。

 主人の長男・長女はオーストラリアへ留学。そのまま現地で就職・結婚。現在ITエンジニア、看護師をしている。下の子供たちはフィリピンの大学を出てフィリピンで仕事をしてフィリピン人と結婚。誰かに卸問屋を継いでもらう予定と。

 主人の話しから典型的な華僑のチノイのファミリー・ヒストリーが浮かび上がってきた。清朝末の混乱期に大陸からフィリピンに渡った華僑1世。そして4世まで一族でフィリピンに根を下ろしビジネスを拡大。さらに5世はオーストラリアに移住。華僑の草の根のネットワークがこうして世界中に拡大している。

買い物客でごった返す間口の狭い中国雑貨の店

間口の狭い中国雑貨の店の入口付近。この売場は整理整頓されていくが奥に行くと雑然と品物が山積み状態

 中華街の外れにやけに買い物客で混んでいる間口の狭い店があった。小さな雑居ビルの一階だけの売り場だが意外と奥行きがある。売場面積は300平米くらいだろうか。足の踏み場もないほど雑貨が山積みされ、低い天井からも商品が吊るされている。商品は全てメイドインチャイナ。中国からの輸入雑貨のオンパレード。そして2階が倉庫兼事務所のようだ。

 店員にオーナーの所在を尋ねると、2階から狭い梯子段を伝ってオーナーが下りてきた。35歳の中国人青年だ。福建省から14年前に両親と一緒にイロイロに移住。商品は全て中国から直接仕入れている。この店の経営が軌道に乗って来たので数年前に両親は福建省に戻り、次のビジネスを始めている。詳しい話を聞きたかったが青年があまりにも忙しそうだったので切りあげた。華僑の逞しい生き方と独特の商売センスを感じた。

フィリピン最大の総合雑貨デパートは35平米の仮店舗からスタート

総合雑貨デパートの2階の衣料品フロアの下着売り場。大量の商品をキチンと整理して陳列している

 中華街のメインストリートの角地に大型店舗があった。入口正面にはおもちゃ、スポーツ用品、雨傘・日傘などが品目別に並んでいる。2階に上がる階段も旅行カバンが半分以上占拠。2階は夥しい数量の衣料品、靴・サンダル、下着、帽子などが陳列。3階は家電製品、日曜大工、園芸用品、文房具など。売場面積合計は6000平米くらいだろうか。商品はやはり大半が中国製だが、ハンガーや腰掛など簡単なプラスティック製雑貨はフィリピン製。

 支配人を探していたらフィリピン人のフツウのオバサンが出てきた。話しぶりから察するに、かなりのヤリ手で各地の店舗の支配人を監督する立場のようだ。この総合雑貨ショップは全国展開しておりマニラ、セブ、ダバオなどフィリピン各地に50店舗以上。新規出店した店舗では売場面積が1ヘクタール以上も珍しくないという。

 彼女によるとオーナーは60歳くらいの中国系フィリピン人。元々マニラの貧乏な家の出身。20数年前にイロイロ市で35平米の貸店舗からスタート。創業当時から彼女はオーナーを補佐して貸店舗も彼女が紹介した。中国雑貨を安価で大量に並べるという商法が成功の秘訣という。彼女は各地の新規店舗出店でも辣腕を振るってきたようだ。

 1代で大企業を興した華僑商人と補佐役のフィリピン女性の成功物語であった。

以上 次回に続く

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