2024年10月28日(月)

民主主義は人々を幸せにするのか?

2024年10月28日

 「日本の子どもたちが塾に行っているのは知っているが、ここでは日本の教育を真似したいと思っている国はない」

 ドイツ人はすでに日本の教育が抱える問題の本質を見抜いていたのです。実は、『豊かさとは何か』はドイツ語にも翻訳されているのですが、原題が『貧乏ニッポン』、副題は『経済的な巨人の影の側面』になっています。

 ドイツの教育現場を見て驚いたことはいくつもあります。一つはあらゆる場面で個人や個性というものが徹底して尊重されていたということです。例えば、小学4年生のマラソンの授業では、校長先生が一人ひとりに「あなたはマラソンに参加したいですか? したくないですか?」と聞く。「したくない」と言えば、その子どもは学校の校庭で他のことができる。日本であれば「決まりだからやれ」の命令でおしまいでしょう。

 5年生。社会科の「私たちの町」という授業では、生徒が自由に2人1組になり、日頃から自分がもっとも興味を持っていた場所を訪ね、調べたことをレポートにして発表します。例えばトルコ人の家を訪問し、故郷のトルコのことや家族の話を聞き、モスクを訪ね、わが町の珍しい外国人を理解しようとしているのです。生徒が調査に出かける朝はいつもより早く登校し、学校で用意した朝食を食べながら、なぜ自分はその問題を選んだのか、調査する方法などを話し合います。レポートは「私の町」という本に印刷され、隣の町の図書館に寄贈したり、外国の友人に送ったりします。すべては生徒の自主性によっています。

 もう一つは、ベルリン自由大学で客員教授をしていた時のことです。ゼミの授業で、学生たちは積極的に手を上げて質問するんです。あまりにも頻繁なものですから、「ここまで一人ひとりに応対していたら授業が進みません」と言うと、学生たちから一斉にブーイングを受けました。

 「暉峻教授、授業は私たちが主人公です。私たちは質問したいから手を上げています。授業とはどうすればみんなが理解できるかを学生と教授が一緒になって考えて行くもの。暉峻教授のように勝手に一人でやるなんて、教育ではありません」

 私は学生たちに謝りましたが、ここまで明確に自分たちの意見を言えるのかと驚愕したことを今でも鮮明に覚えています。

 同時に、ドイツ人は小学生の頃からこのようなことを教わり育っていることを知りました。

 「神様は人間をわざと不完全につくった。完全につくっていたら助け合うことができない。だから、『助けて』『教えて』と言うことは決して恥ずかしいことではない」

対話するドイツ人
対話しない日本人

 また、ドイツではあらゆる場所で人々による「対話」が盛んでした。

 中学校では各政党から代表者を一人ずつ呼んで、生徒たちと代表者が対話するということが授業の中に組み込まれていました。

 「今、なぜ、自分の姉は失業しているのか」「なぜ、地下鉄の運賃が上がったのか」など内容は実に様々で、質問しない生徒は一人もいませんでした。それに対して、代表者は丁寧に答える。日本でもこんな授業をすれば政治家も鍛えられると思いますが、今の日本の政治家にこんなことができるでしょうか。

 列車の中で隣り合わせになった人とでも社会問題や政治問題を話すことはごく自然ですし、市場の人たちなんて、一人が政治の話をし始めると、みんな商売そっちのけで熱心に「対話」していたのも印象的でした。

 翻って、日本はどうでしょうか。私には、「対話が喪失した社会」だと思えてなりません。

 そもそも、議論と対話は似て非なるものです。対話は、議論と違い、相手を言い負かせるものではありません。お互いが上下の関係でなく、平等な立場で人格と人格が話し合う言葉です。対話は、「感情」、「理性」、「沈黙」などを含め、その人の体全体から出てくる「全人格」による話し方です。時には普段なら流すことのない「涙」だって入ってもいい。相手を意図的に同意させたり、ある結論に引き込もうというような、やましい言葉で話し合うものではありません。形式にとらわれない、自分の言葉、自由な言葉です。

 一方、日本の政治家は国民との対話が重要だと言いながら、一方的な説明で終わることが多い。国民を集めた説明会でも、会場から出た意見が政府の政策に反映されることはほとんどなく、対話とはいえないものばかりです。パブリックコメントなども、ただ出させるだけです。

 企業や行政でも、一方的な指示・伝達・通達が溢れています。もちろん、組織ですから、それがあってしかるべきですが、一方通行であらゆることがマニュアル化され、タイパ、コスパの成果主義が優先された結果、命令はあるけれど、対話がどんどん失われているように思います。

 それは、自立した個人も対等な人間関係もない軍隊の文化が社会全体に浸透していた戦前と同じです。


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