衆院選で自公が過半数を割ったことに対し、米メディアは「日本は不確実性に突入した」とか、この不確実性は「経済的な逆風や、強硬な中国と核武装した北朝鮮による緊迫した安全保障情勢に直面している日本にとって、大きな問題となる」などと論じた。中には「日本の政治はここ数年間で最も不透明な局面に入った」と報じているものもある。
一方で、日本国内のメディアは、自公過半数割れと大きく報じるものの、石破茂首相と立憲民主党の野田佳彦代表の二人が「互いに政権意欲」とか、「政権枠組み探る」「連立枠組み拡大模索」などと、現政権が維持できないとするものの、特に慌てる様子はない。
この温度差はどこから生じるのだろうか。ここで、現在と状況が似ている選挙として想起される2009年8月の第45回衆議院議員選挙について振り返ってみたい。あの時も民主党が大躍進し、自公は大きく過半数割れした選挙であった。
波紋を呼んだ「東アジア共同体」構想
1955年以来、親米路線を堅持してきた自由民主党政権の敗北に、米国側はどうなるのかと不安に包まれた。当時はまだ日本は世界第2位の経済大国であり、世界における相対的な国力は現在と比べると遥かに大きかった。
その日本が政権交代することで、これまでの親米的な姿勢をやめて敵対路線に転換するのか。民主党政権はどのような路線をとるのか米政府は検討に追われた。その時、米国側の目に留まったのが民主党党首で民主党政権発足時には首相となることが確実視されていた鳩山由紀夫氏が書いた論説であった。
これは日本国内の雑誌『Voice』09年9月号(8月10日発売)に掲載されたものが8月末に『ニューヨーク・タイムズ』電子版に掲載されたものであった。元のタイトルは「私の政治哲学」であったが、それを「日本の新しい道」という新しいタイトルを付して抄訳した。
そこには「[日本人]はアジアに位置する国家としてのアイデンティティを忘れてはならない」と書かれており、日本の国家目標の一つが「東アジア共同体」の創造であるとされていた。
当時米国は、同年1月にオバマ政権が発足したばかりのころで、前年9月に発生したリーマンショックの後遺症にいまだに苦しんでいる状態であった。「変化」を唱えて最初の黒人大統領として登場したオバマ氏は、熱狂的に受け入れられた。その熱狂が広く報じられる一方で、その変化を急激すぎると感じて、オバマ氏の登場を受け入れられない国民も多かった。