戦前に日本で起きた〝失敗〟
同様のことは戦前の日本でもあった。戦前の日本は、1930年代中ごろまで、スキャンダル報道は盛んだった。現在1万円札を飾る渋沢栄一やその長男の女性遍歴も自由に報道されていた。
報道は、非難がましいものではあったが、それほど糾弾された訳ではなかった。財閥や政治家のスキャンダルが盛んに報道されたことで、人々が既存のエリートに失望し、それがより清廉と思われていた軍の力を増したと理解されているようだ。しかし、権力を握った軍人たちも何も変わらなかった。
戦時中、大日本言論報国会長として戦争扇動をしていた徳富蘇峰は、戦後になって、次のように証言する。「ある軍需会社が、あることについて願書を出した。しかるに陸運主計中尉の某というものが、平素海軍の方には付け届けするが、陸軍にはしないということを根にもって、一ついじめてやれということで、その願書を机の抽斗(ひきだし)に1ヵ月余も投げ込んで置いたということである。そういう調子である。また、某造船会社に、これこれの船を造れと命令したが、その会社には資材の持ち合わせがない。官庁には余る程あるが、それは決して融通しない。・・・役所の仕事というものは、素より民の為めでもなければ。また必ずしも官のためでもない。誰が為めといえば、ただ自分が、大にしては立身出世、小にしては保身安家の為めに他ならない」(徳富蘇峰『徳富蘇峰 終戦後日記』177-183頁、講談社、2006年)。
権力を得れば堕落するものなのである。軍人が清廉な訳ではなかったが、スキャンダル報道が禁じられたから、徳富蘇峰ほどの大物言論人といえども戦後になるまでこのようなことは書くことができなかった。
イギリスでもアメリカでも、スキャンダル報道は盛んである。スキャンダル報道を行うジャーナリズムは民主主義に必須のものである。