2025年12月5日(金)

Wedge REPORT

2025年2月19日

各地で沸き起こる伐採反対運動

 ブナ林伐採については筆者が学生の頃、京都大学の四手井綱英教授による山形県の朝日山地の批判を覚えている。テレビでもブナの伐採地の乱雑な模様が映され、多くの視聴者にショックと憤りを与えたに違いない。

 もともと皆伐地とは、どこでも乱雑なものだった。四手井先生は森林生態学の大家であるが、秋田営林局や山林局(現林野庁)、国立林業試験場の勤務経験があった。言わば身内からの告発で、国有林経営へのインパクトは相当大きかったに違いない。

 1960~70年代は、まだまだ人と自然とのつながりが深かった。特に東北地方ではブナ林は地域の裏山のようなもので、多くの人がその四季を共にしていたのである。こうした人たちがブナ林の痛ましい現場を見て、反対の声を上げた。

 さらにそれを理論的に支えたのが、各県にある大学の植物学系の学者たちだった。彼らは、現在の実験室系学者と違ってフィ-ルド系で、ブナ林の隅々まで足で稼いで熟知していた。

 人工林での仕事が多い国有林職員では、なかなか太刀打ちできないのは当然である。人工林造成一辺倒の業務構造が、森林を生態系としてとらえる新たな思考への理解を妨げていた。

 こうした地域の天然林伐採反対活動が全国的な自然保護運動となって、対応に迫られた林野庁は73年に「国有林野における新たな森林施業」という通達を出して、「森林生産力の増大の基調を維持しつつも、木材生産機能と公益的機能を重層的、調和的に発揮させる」こととして、自然保護への配慮を見せたが、頑なに拡大造林の継続は堅持した。

 具体的には、分散伐採を行った。それまでは皆伐地は延々と連続していて、岩石地などを除いて一山全体が丸裸という状態だったため、あちこちで表層崩壊が起きるなど、自然環境破壊的であった。そこで人工林にも天然林にも皆伐面積に制限を加え、1伐採区画(伐区)の上限を20ヘクタール(ha)(保安林は5ha)とし、隣接部分は保残区として同程度の面積を残し、皆伐部分が成林するまで(植林後5年間、保安林では10年間)伐採しないことにした。

 これを保残区方式と呼んだ。また、天然林では上記の伐区の周囲の尾根筋や沢筋に幅50メートル(m)程度の保護樹帯を設ければ、次の伐区を皆伐できることとし、これを保護樹帯方式と呼んだ。

写真 3 保護樹帯方式で伐採後、拡大造林された箇所の現状(出所)Googl Eearth

 写真3には、保護樹帯方式で伐採された後、スギ・ヒノキが植栽された箇所の現状である。濃い緑がスギ、若干薄い緑がヒノキ、それらの周囲の赤褐色の部分が天然落葉広葉樹林である。こうしてみると一応植栽部分は50年生程度になって成林しており、拡大造林は成功しているように見える。

 しかし、自然保護活動家から見れば、かつては広大な天然林があったわけで、それが魚骨状に残されて、身の部分が人工林になってしまったのだから、自然破壊にしか思えないだろう。

 ここは、四国山地の脊梁部で標高1000~1400m、造林地としては限界に近い。中央の左下から右上にかけて走る広葉樹の広い帯は風衝地で、台風襲来時南東からの暴風が吹きつけ、林木の成育の悪い場所である。したがって造林地は一応成林しているが、樹高が低かったり、樹幹が通直でなかったり、林業的に価値の高い樹木になっているかどうかは不明である。

 結局、「国有林野における新たな森林施業」は、通常の森林施業における公益的機能への配慮には格段の改善を果たしたが、広範囲にわたる天然林の伐採中止を求める自然保護活動の要望には対応できず、各地で起きる伐採反対運動に対して、個別の交渉を余儀なくされたのである。


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