情報社会の黎明期
未来を見据えた対策を
SNSと民主主義は今後どこへ向かいどのようになっていき、我々はその変化にどのように対応していけばよいだろうか。18世紀半ばの産業革命からの近代化の歴史を踏まえ、マクロ的な視点で我々の社会の将来を考えたい。
産業革命以来、人類は技術の進歩によって社会構造を変革してきた。この革新は、一人当たり国民総生産(GDP)の推移を振り返るとまるで〝崖〟のように急成長を遂げ、その後200年以上にわたり産業社会が世界をリードしてきた。ところが近年、先進国の経済成長が鈍化するとともに、新たな社会形態が姿を現した。それが、ネットの普及を契機に加速度的に発展している「情報社会」である。
情報社会はまだ始まったばかりだ。産業社会が長く続いたように、情報社会も今後、数百年にわたり成熟していくだろう。実際、世界のデータ総量は2000年には6.2エクサ・バイト(エクサは10の18乗)だったが、20年には59 ・バイト(ゼタは10の21乗)と1万倍近く増えている。指数関数的に拡大するデータは、社会を動かすエンジンとなり、さらなる飛躍をもたらすだろう。
しかし、急激な発展は同時に問題を顕在化させる。SNS上の誹謗中傷やフェイク情報といった問題は、サービスそのものが生んだものではなく、〝人間の本質〟をあぶり出した側面が大きい。例えば、インターネット上で攻撃を行う人の多くは、「個人の正義感」に基づいて行動していたことが、筆者の調査で示されている。この「正義感」は、時に戦争を引き起こすほど扱いが難しい人間の感情だ。つまり、現在の混乱は、人間が本来抱える問題が、「人類総メディア時代」となって拡大しているにすぎない。
振り返れば、産業革命の黎明期にも、公害や労働問題といった深刻な課題が頻発した。時代の黎明期に問題はつきものだ。それを技術・教育・制度などあらゆる角度から対策を進め、ある程度問題を改善することによって、人類は今の豊かな産業社会を導いた。
今問題となっているSNSは、情報社会の黎明期に誕生した、テキスト・画像・映像でコミュニケーションする極めてシンプルなサービスだ。いまや、誰かが頭の中で思い描いている映像を、デジタル上に描写する技術が発達している。他者の感覚情報を、センサーによってデジタルで共有できる技術も日進月歩で発達している。AIの発展により、無数にコンテンツが生み出されると同時に、あらゆる分野の技術革新が加速している。
今後、間違いなく人同士の繋がりは今より広く、濃くなっていく。SNSの問題を乗り越えることは、次なる時代のための進化なのだ。
そのために、政府、自治体、プラットフォーム事業者、教育機関、メディアなど、あらゆるステークホルダーが連携し、この問題の改善に向かって一歩一歩進んでいくことが大切だ。その際には、産業社会が「経済の自由」と共に発展したように、「表現の自由」を保証したまま発展することが重要だ。
そして一人ひとりが「他者を尊重する」という当たり前の道徳心を持つ。それが、人類総メディア時代で最も大切なことなのである。
