人を揶揄するという行為は誰しもが持つ、いわば「人間の性」である。しかし、近年はSNSの発信力・拡散力と相俟って、明らかに行き過ぎている。
石破茂首相もそのターゲットとなった。昨年11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議時に、「おにぎりの食べ方が汚い」と批判が殺到したのである。これは、人間の持つ嫌悪感を刺激する投稿である。ただ、何の根拠もなく、遠回しに石破首相を生理的に嫌う「差別の始まり」とも言うべき出来事であり、決して看過すべきではない。
もちろん、こうしたことは過去にもあった。例えば、公園や駅などの公衆トイレには、他人の悪口や性的、暴力的な表現の落書きが数多く見られた。私は、決して落書きを肯定しているわけではないが、かつてなら「落書きするならトイレの中だけで」という一定のつつましさや暗黙のルールのようなものがあったし、誰もが気軽に落書きをするようなものではなかったと思う。
だが、現在のSNS上には、一定のルールは存在しているようだが、人間の興味・関心を引きやすい刺激的な内容がXやYouTubeなどを通じて次々とアップされ、一瞬にして全世界に拡散するようになった。しかも、トイレとは違い、誰もが気軽に〝落書き〟できるようになった。
しかし、こうした差別意識を多くの人が持ち始めることは、時代に暗雲が垂れ込み始めた時に出てくる典型的な現象でもあり、我々はこの事態を重く受け止める必要がある。
閉塞した時代に起こる
3つのこと
私はかねてより「閉塞した時代には3つの現象が起きる」ということを繰り返し指摘してきた。
※こちらの記事の全文は月刊誌「Wedge」2025年4月号「民主主義が SNSに呑まれる日」で見ることができます。