「福島県内と県外の対立」は望んでいない
「約束はどこへ」――。福島県内の除染土を受け入れていれる県外の市町村は、そこに住む人々の反対にあって成し遂げるのは、今のこところ困難である。
中間貯蔵施設を受け入れた門馬さんは、所沢の市民団体の集会に参加した。除染土の処理を担当している環境省の研修施設のなかで、除染土の再利用の研究をしようという方針に対する反対集会である。この研修施設は住宅街にある。
環境省の説明によると、除染土のうち1キログラム(㎏)あたり8000Bq(ベクレル)以下が全体の4分の3を占めている。このレベルは道路や防波堤などに再利用が可能だとしている。除染土の上に土を持って、人体に影響がでない1m㏜(ミリシーベルト)以下にできるとしている。
市民団体の反対集会のなかで、意見を求められた門馬さんは次のように物静かに訴えるのだった。
「(1Fがある)大熊町と双葉町、それ以外の地域での対立や分断、そういったものを望むものではありません。福島県内と県外の対立構造になっている、そういうことは、私は一番心配しています。相互理解をしていかなければなりません」と。
飯舘村長泥地区は、原発から北西に30㎞の地点にある。ここでは、環境省と共同で除染土再利用の実証実験が7年前から行われている。受け入れを決めた当時の地区の元区長である鴨原良友さんは、「意地だよ」という。
長泥地区は、かつて約75世帯・250人が住む米と花づくりで知られていた。放射能汚染が村内で最も厳しい状況に追い込まれた。鴨原さんの願いは農業の再生だ。
環境省の除染土の再利用計画は、除染土の上に50センチ(㎝)の深さの土を盛る。その上に米と野菜を栽培するというものである。
「長泥地区には、穏やかな人同士のつながりがあった。俺はここから出るわけにも、逃げるわけにもいかない。将来100年後か200年後に(かつての)地区を見られるのかな」と。
稲作は4年前から再開。セシウムは国の基準の200分の1までさがった。しかし、出荷するわけにはいかない。検査したあとに廃棄されてきた。
昨秋、長泥地区の公民館に避難している地区の住民と、大学生のボランティアの人々が集まった。この時に限って、地区で栽培した米で作ったおにぎりを食べることを許された。
原発事故後に初めて食べる地元産の米のおにぎりを、鴨原さんは満面の笑みを浮かべながら、うまそうに食べるのだった。