普及しかけていた一貫パレチゼーション
当初は鉄道貨物駅構内の通運作業の軽減を主たる目的としていた日本のパレチゼーションも、その普及につれてより範囲を広げていく。
上の写真2は、鉄道の引込線を有する工場でパレタイズされた貨物が、パレットのまま鉄道貨車に搭載され、鉄道輸送、着駅でもパレットのまま卸され、配達車両に積載されて、着荷主の施設でもパレットのまま荷卸しされていることを示している。
現在の鉄道貨物輸送は、貨物に合わせた専用貨車1両単位で貸し切って直接積載する「車扱(しゃあつかい)輸送」と、貨物を荷送人の戸前でコンテナに入れてトラックが発側貨物駅まで、同駅から着側貨物駅までを鉄道が担い、荷受人戸前までの配達をトラックで行う「コンテナ輸送」に分けられる。写真2が示す通り、当時は従来型の貨車を用いた車扱輸送でも、一貫パレチゼーションが品目によっては一定のレベルまで進んでいたのである。
60年前後にはワム80000型と呼ばれるパレット貨物専用の貨車も開発され、60年代半ば以降に、工業技術院の委託により、日本包装技術協会が以下のような選択基準に基づいて検討した結果、11型のパレットがJIS規格として制定されたようである。
この当時は国鉄の車扱輸送が中心的輸送モードであったため、鉄道車両の内法幅(うちのりはば)である2300mmにパレットが2枚収まるよう、奥行きが1100mmの11型パレットが生まれたというのが実態であろう。
コンテナとパレットは一体化できず
このように鉄道の車扱輸送を中心に普及して行くかに見えた日本のパレット標準化と一貫パレチゼーションであるが、87年に国鉄民営化の一環として日本貨物鉄道(JR貨物)が発足後、車扱輸送は減少の一途を辿る。98年にJR貨物の取扱量の過半をコンテナ輸送が占めて以降、鉄道貨物輸送の主役の座をコンテナ輸送に明け渡してしまう。
世界的には、コンテナとパレットはユニットロードという共通のコンセプトにもとづき発展してきたものであり、競合するものではないはずである。しかし、鉄道コンテナの登場以降、国鉄もJR貨物も、ユニットロードの中心をパレットからコンテナに移し、コンテナとパレットのシナジー化を図ることはなかった。
下の写真3は、60年前後の国鉄の5トンコンテナの引取から鉄道貨物駅までの輸送行程のスナップショットである。貨物のコンテナへの積み込みはパレットを用いない手荷役で行われている。
当時の国鉄は、鉄道貨物輸送の中心が車扱輸送からコンテナ輸送に移行した段階で、ユニットロードシステムの主体もパレットからコンテナに移行したと認識したと思われる。
パレットに替わってユニットロードシステムを担うはずであったコンテナも、「〈コンテナの良さを理解していない日本の物流〉断絶する国際貨物輸送と国内貨物輸送の実態」(24年10月11日)で筆者が指摘した通り、日本では輸送モードごとに異なる“箱”を用いるという特異な発展を遂げたため、現在に至るもユニットロードシステムは不十分な状態に留まっているのが実情であろう。



