2025年12月6日(土)

「最後の暗黒大陸」物流の〝今〟

2025年3月27日

「荷役近代化の父」平原直の略年史から読み解く日本パレチゼーション

 「荷役近代化の父」と言われ、わが国における荷役近代化・パレチゼーション普及のパイオニアとして知られる日本パレット協会初代会長平原直(ひらはらすなお)は、1929年に日本通運の前身である国際通運に入社、配属された荷役現場の過酷な労働に衝撃を受け、苦役的荷役からの人間労働の解放、荷役改善に生涯を捧げたと言われている。

 以降の平原の活動をパレチゼーション中心に取りまとめたのが、下の表2.である。

 戦前、戦中はトレーラー、セミトレーラーの試験運用・実用化を中心に活動していた平原であったが、49年3月に神戸港中央突堤でペプシコーラのパレチゼーション作業を実見して以降、無二の親友であった高本亀太郎が支店長を務めていた日本通運新宮支店や和歌山支店を実験場として、日本におけるパレチゼーションの普及に邁進することとなる。

 その後の平原の活動の歩みは、日本のパレチゼーションの歴史そのものと言っても過言ではないだろう。

鉄道貨物駅駅頭での機械化として始まった日本のパレチゼーション

 平原直のパレチゼーションに向かう原点は苦役的荷役からの人間労働の解放、荷役改善であった。そのためか、戦後しばらくの間の日本のパレチゼーションは、当時の主要輸送モードであった鉄道貨物駅における通運作業の肩荷役を軽減するための機械化として推進されたと考えられる。

出所:「荷役はかわる 通運のパレット作業(1958)|物流アーカイブス|日本通運」 (製作:岩波映画製作所/企画:日本通運㈱)をもとにNX総合研究所が作成 写真を拡大

 上の写真1は1950年代後半の鉄道貨物駅構内の作業の流れを示したスナップショットである。貨車にバラ積みされた貨物を貨車の前に置かれたパレットに積み替える作業員、パレットに積み替えられた貨物をフォークリフトで配達車両に搭載される作業を示している。

 現在に生きる我々の目には、これでもかなりな肩荷役が発生しているように見えるかも知れないが、パレットとフォークリフトの利用以前には、貨車から降ろされた貨物を作業員が肩で担いで配達車両まで歩いて運び、荷台への積み付けも肩荷役で行われていたことと比較すると、機械化により苦役が大きく軽減されたと、当時は考えられていたのである。


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